実際問題、紫式部と道長には体の関係があったのか?

――ドラマのような結婚前の若き日ではなく、後年、宮仕えを始めた後だと思いますが、紫式部は道長と関係があったのでしょうか?

【大塚】私はあったと思うんですよ。よく引き合いに出されるのが、南北朝時代に編纂された『尊卑分脈』の紫式部の項に「御堂関白道長妾云々」と書いてあるということ。だから、道長の愛人だったと言われていますが、その記述は信用できないとしている研究者も多い。つまり、本当に関係があったかどうかは分からないけれど、「関係があった」と仮定して考えると頷けることがたくさんあるんです。

【辛酸】たしか『紫式部日記』には、道長に言い寄られたことが書いてあるんですよね。

【大塚】道長が「すきものと 名にし立てれば 見る人の 折らで過ぐるは あらじとぞ思ふ」という歌を詠んで紫式部に渡した時のことですね。「すきもの」は「好色な人」という意味を含んでいて、「『源氏物語』のような恋愛小説を書いているのだから、あなたもいろんな人と関係しているんだろう」という、すごい歌を贈ったんですよ。

道長が紫式部に贈った歌は、現代ならセクハラおやじ

【辛酸】まるで現代のセクハラおやじみたい。そういう日本の男って1000年前からずっとセクハラしてきたんですかね。

【大塚】紫式部は「そんなことはありません(好き者ではありません)」といった意味の返歌をするけれど、その晩、道長が部屋の前に夜通しいて、今なら、ドアをノックされていたような状態になり、それでも私は部屋に入れなかったと書いています。

【辛酸】夜通しアタックされるなんて、恐怖でしかないですね。

【大塚】そんなことをなぜわざわざ書いたのかと考えると、逆に愛人関係にあったからではと。さらに、そんなふうに道長とやりとりしていた時期に、紫式部のお父さんが越後守という、いいポストを得ているんですね。

大塚ひかり『傷だらけの光源氏』(辰巳出版)
大塚ひかり『傷だらけの光源氏』(辰巳出版)

【辛酸】つまり、日記に書いた日は道長を部屋に入れなかったけれど、違うときには入れたのかもしれない。

【大塚】そういうことです。れっきとした妻にはなれなくても、お手つきになったことで父親の立場が良くなるなら、妾になるのも悪くないかもしれませんよね。

【辛酸】もしかして道長は紫式部の文学の才能に惚れていたのかも……。才能に惚れるってありますから。

【大塚】紫式部日記』の記述にも見えるように、きっと、道長もそういう魅力は感じていたと思います。

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