中国人がものすごく熱狂しているテレビドラマがあると、友人が言う。2009年秋だった。

『蝸居』は「かたつむりの家」のような狭い住居という意味。上海の日系企業に勤める共働きカップルの物語。テレビドラマ化されて爆発的人気を博したが、放送打ち切りになった問題作。写真はDVD。

「『蝸居』(かたつむりの家)というんです。中国の今が全部入っているんですよ。社会の問題点も含めて、すべてが織り込まれている」

蝸居とは、かたつむりの殻のように小さな家という意味である。兎小屋よりなお狭い。

内容は衝撃的だった。かたつむりの家からの脱出作戦、ローン地獄、1円でも節約するつましい生活、官僚の汚職、不倫、性愛の罠……。ドラマで描かれた「中国の今」からは、日本を追い抜いた「世界第2位の経済大国」の光と闇が見て取れる。

放送当時、中国駐在の日本人の間でもこの「かたつむりの家」がよく話題に上った。何故なら、ドラマの重要なシーンで「日本」がしばしば登場したからである。主人公は、地方から上海に出てきている有名大学卒の若い夫婦で、妻の働いている会社が、日系企業という設定だった。妻は会社といろいろ摩擦を起こしていくが、まずは「残業問題」から始まった。

中国の「残業」とは、ほとんどが無給、つまりサービス残業である。「会社」(物語上では日系)は、毎日のように社員に残業を強いるが、嫌がる社員たちに、中国人の課長は高々と宣言する。

「残業はアジアの文化なんだ。嫌なら辞めてくれ!」

問題は、彼女が残業などできないことである。かたつむりの家から脱出するために、家を買わなきゃならない。少しでも資金を貯めるために、毎日会社が終わった後、外国人に中国語を教えるアルバイトをしていたのである。

──残業は無償、アルバイトは1時間2000円。どっちが得か……、考えるまでもないわ。彼女は課長にきっぱりと言った。

「仕事は決められた8時間以内で終わらせています。残業の必要はないのでお断りします」

ここから「会社」の恐ろしい報復が始まる。

「きみは出勤したくないんだね。それじゃあ、きみにやってもらう仕事はないよ。きみの机は廊下に置いた。トイレの前にね。きみはそこで、雑誌を見てもいいし、新聞を読んでもいい、自由にしたまえ。ただその場を離れると、サボりとみなす。3回呼んでいなかったら、怠慢であるとして、自動的に解雇される。これは社の規則にはっきりと書かれているから、きみも知っているだろう」

著者は別に日本が嫌いなわけではない。ただ、日本を知らない中国人の抱く「日系企業」をイメージして書いただけである。社会現象化したテレビドラマで、日系企業が間違ったイメージで固定されていくことに、私は懸念を抱いた。

中国には「日系企業伝説」というのがある。ステレオタイプの「日本」が大きくふくらみ、伝説と化した。その伝説が、優れた人材を逃し、他国、特にアメリカ企業へと集中させる結果を生んでいる。

中国人の抱く、日系企業のイメージとは、「幹部になれない」「上司には絶対服従」「主な仕事はレストランの予約取り」「給料が低い」「年功序列」……。

正しいものもあれば、間違っているものもある。

激烈な競争を勝ち抜いたエリートたちは今、国有企業体質から脱皮し、能力重視の新世界へと飛躍を願っている。「欧米的新制度」に憧れ、「中国の旧い体質」から逃げたいと考える。その点、イメージ上の日本企業は、中国の旧い体質と区別がつきにくい。

中国進出企業にとって最も深刻なのは「反日」と同時に「人材不足」の問題である。日本というブランド力低下の時代、優秀な人材確保のために、企業も人も

「やっぱり魅力ある日本」をアピールする必要に迫られている。それには、ステレオタイプの日本を打破すべく、中国人としっかりコミュニケートすることが大切なのではないか。

※すべて雑誌掲載当時