岸田首相は、自民党の裏金問題に関与した議員ら39人を処分した。政治ジャーナリストの清水克彦さんは「岸田政権は、低支持率ながら『一強』体制でなんとか延命してきた。しかし、今回の処分で政権を支えてきた安倍派が壊滅的な打撃を受け、結果的に自らの首を絞めることになるだろう」という――。

岸田首相は自民党屈指の「壊し屋」

歴代の自民党総裁(首相)の中で「壊し屋」と言えば、小泉純一郎元首相の印象が強い。「抵抗勢力」というワードを多用して仮想敵を作り、郵政民営化などを実現させていった政治手法は記憶に新しいところだ。

しかし、筆者は、岸田文雄首相こそ、70年近くに及ぶ自民党の歴史の中でも屈指の「壊し屋」ではないかと考えている。

首相官邸に入る岸田文雄首相=2024年4月4日午前、東京・永田町
写真=時事通信フォト
首相官邸に入る岸田文雄首相=2024年4月4日午前、東京・永田町

そのことは、東京大学の御厨貴名誉教授も、朝日新聞の言論サイト「RE:RON(理論)」(3月22日)の中で、「岸田さんは『究極の壊し屋』」との表現を用いて、「支持率を気にすることなく、妙に達観している。結果的に強い首相になってしまった」と分析している。

御厨氏は「結果的に……」と指摘したが、岸田首相の場合、重要な局面で見せるサプライズ、もっと言えば、自民党全体を揺さぶるようなショック療法によって、安倍晋三元総理とは趣がことなる「一強」体制を構築してきたと言っていい。

就任早々、野党を驚かせた「奇襲攻撃」

まずは、第100代内閣総理大臣に就任した2021年10月4日の記者会見で、10日後の10月14日に衆議院を解散すると表明したことだ。就任早々の解散権の行使は、野党にとってはまさに夜討ちのような「奇襲攻撃」で、結果、自民党は勝利を得た。

2つめは、今年1月18日、政治資金パーティー裏金事件を受け、他派閥に先がけて岸田派(宏池会 46人)の解散を表明した点だ。

宏池会と言えば、1957年に創設された自民党内で最も伝統のある派閥である。それを「解散する」と表明した衝撃は大きく、このひと言で、安倍派(96人)や二階派(38人)が派閥解消を余儀なくされ、麻生派(56人)や茂木派(53人)も、その実態はともかく政策集団へと衣替えした。

それまで党内第4派閥のトップにすぎず、党内基盤も弱かった岸田首相は、自ら派閥解消に先鞭をつけることで自民党を内部から壊し、党全体を掌握できる立場に上り詰めたことになる。