カレーを食べるときにトイレの話をしたくない理由

あるモノは他のモノの表象を併せ持つことがある。たとえば、愛知県常滑市の大蔵餅が販売する「トイレの最中」は、便器の形をした最中種(最中の外側)に、茶色いドロドロの餡を流し込んで食べる菓子だが、これを食べるのに抵抗を感じる人は少なくない。この最中は、「もなか」と読むが、「さいちゅう」とも読めるところに洒落が効いている。

トイレの最中
プレスリリースより
大蔵餅の「トイレの最中」
トイレの最中
プレスリリースより
大蔵餅の「トイレの最中」

また、便器の形をした皿にカレーライスを盛って食べるのも同じように抵抗を感じる。これは、そのカレーライス(モノA)がカレーの表象だけでなく、皿から生じる便器や糞尿(モノB)の表象と重ね合わさることで、カレーライスが穢れたものであるように感じるために抵抗を覚えるのだと考えられる。

完璧に洗浄されたハエ叩きでかき混ぜられたスープを飲みたくないのも、同じプロジェクションによるものだと考えられる。

「連想による伝染」が起こっている

嫌悪に関する研究の権威であるロージンたちによれば、アメリカの大学生は「毒」というラベルが貼られたコップから水を飲むことを躊躇した。さらには、たとえラベルに「毒ではない」と書かれてあっても躊躇する気持ちが消えることはなかった。

同様に、外山紀子らが行った研究では、日本の大学生もゴキブリと水が実際には接触していないにもかかわらず、コップにゴキブリを連想させる文言が書かれた水を飲むのを躊躇した。これらの心理的な伝染は、汚染源を連想させるだけで生じるので、ロージンたちは「連想による伝染」と呼んでいる。

これはモノからモノへのプロジェクションと考えることができる。

このような現象は、ヒトだけでなく類人猿のボノボにも観察される。川合の研究室でポスドクをしていたフランス人研究員のサラビアンは、大学院生の頃にアフリカで保護区にいるボノボに何枚かのバナナのスライスを与えた。

バナナのスライスは横一列に並べられた状態で提供される。ただし、一番端の一つは大きな糞の上に載っていた。そして、その隣のバナナのスライスは糞と近接しているが、実際には触れていなかった。以降、他のバナナスライスは、糞の上にあるバナナスライスから等間隔で糞から離れて置かれた。

ボノボは、一番糞から遠いところのバナナスライスから取り始め、糞の隣にあるバナナスライスを触ったが、結局それと糞の上に置かれたバナナは取らずに帰った。

糞の上に載っているバナナは病原菌を持っているかもしれない。しかし、糞の「すぐ隣」にあるバナナは糞とは接していないので病原菌が付着しているとは考えられない。もちろん、糞そのものもついていない。

それにもかかわらず貴重なバナナを取らなかったのは、外山の実験の参加者のように嫌悪の対象である糞がすぐ側にあることで、汚染を連想したためだと考えられる。だとすれば、このようなモノからモノへのプロジェクションはヒトの誕生以前に進化したのかもしれない。