SITH-1だけでは説明できなかった「脳内炎症」

うつ病患者の約80%が抗SITH-1抗体陽性であり、SITH-1を発現させたマウス(*SITH-1マウス)がうつ病様の症状を示すことから、SITH-1がうつ病の原因の一つであることは確実です。ところがうつ病には、SITH-1だけでは説明できない症状がありました。それが、脳内炎症です。

うつ病で脳内炎症が発生するメカニズムが、SITH-1マウスでは脳内炎症がみられなかったため、SITH-1だけで説明することができなかったのです。しかし、この本の執筆直前にわれわれは、新型コロナウイルス後遺症の研究を経て、SITH-1が抱えるこの問題を解決することができました。

S1タンパク質(*新型コロナウイルスが感染する際に生成されるスパイクタンパク質の一部)をマウスの鼻腔びくう内で発現させると、うつ症状がみられました。しかし、症状は少し異なりました。SITH-1マウスでは脳内炎症は生じなかったのに対して、S1マウスでは、うつ症状に加えて、脳内炎症が生じていたのです。

われわれは、S1マウスにあって、SITH-1マウスにないものを探しました。そして、SITH-1マウスの実験モデルでは、S1マウスには肺から供給されていた炎症性サイトカインがないことに気づきました。

脳内炎症は「ブレーキ」の故障で引き起こされていた

うつ病の直接の原因で、最大のものは過労です。ならば、SITH-1マウスに、それを負荷してみようとわれわれは考えました。具体的には、薄く水を張った飼育ケージでSITH-1マウスを飼うことで、マウスを睡眠不足にしてみました。その結果、疲労したSITH-1マウスは、脳内炎症を起こしたのです。

火種となったのは、疲労負荷によって誘導されたeIF2αリン酸化による炎症性サイトカインでした。こうしてうつ病患者では、疲労が火種となり、SITH-1がその消火を阻むことで脳内炎症が引き起こされる、という現象が生じていることが明らかになったのです。

近藤一博『疲労とはなにか すべてはウイルスが知っていた』(ブルーバックス)
近藤一博『疲労とはなにか すべてはウイルスが知っていた』(ブルーバックス)

生理的疲労と病的疲労の本質的な違いは、脳内炎症が起きているかどうかです。そして、その違いを生むのは、脳の抗炎症機構が正常に働いているかどうかです。この機能が正常に働いていれば、労働や運動による疲労で炎症性サイトカインが大量に産生されても、脳内炎症は起こらず、病的疲労にまでは至りません。

では、何が脳の抗炎症機構を障害するのでしょう? まず挙げられるのが、SITH-1です。潜伏感染するHHV-6が発現させるこのタンパク質が、脳内炎症を生じさせるのです。

これまで、脳の炎症のメカニズムに関しては、脳の中でのウイルスの増殖や、脳の外から加わる炎症性サイトカインなど、炎症を増加させる「アクセル」の働きばかりが注目されていました。ところが、じつは炎症を停止させる「ブレーキ」の故障だったことがわかったわけです。

※「*」がついた注および補足はダイジェスト作成者によるもの

コメントby SERENDIP

著者は「疲労についての研究は日本が世界で最も進んでいる」という言説に対し、むしろ「世界の疲労研究が遅れている」と指摘。その原因として、欧米での疲労のとらえ方が日本とは根本的に異なることを挙げている。欧米では「疲れているのに無理して働く」のは愚かなこととされ、疲労の問題は自己管理や労働管理の分野で扱われ、医学的に重要視されてこなかった。ところが今回のパンデミック、そして「新型コロナウイルス後遺症」の広がりから、日本以外でも疲労を医学的に分析する気運が高まっているという。

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