「ナワリヌイ氏の妻」として生きてきたユリアが政治家に?

拘束の名目は、民事裁判のはずだったイヴ・ロシェ社の横領事件における執行猶予違反と、シャリテ病院退院後の管理逃れを挙げている。この事件は、ナワリヌイ氏が、逮捕は政治的動機によるものだとして、欧州人権裁判所に訴えたケースである。


アレクセイの逮捕後も、家族への監視は続いた。
「彼らは私を人民の敵の妻のように尾行しています」とユリアはインスタグラムに投稿した。家族のアパートの外にいる標識のないパトカーの写真をつけて。「1937年が到来したのに、私たちは気づかなかったのです」。それはスターリンの大粛清の時を意味する。

二人が最後に会ったのは2022年2月。ロシアによるウクライナ侵攻が始まった月だった。ユリアが最後に行ったのは3月だという。しかし夫は厳しい管理下におかれ、もう面会ができなくなってしまっていた。

アレクセイの死亡の連絡は、それから約2年後のことだった。
 

ユリアの物語は続く。
  ユリアは本当に夫の代わりに立ち上がる事ができるだろうか。


「ファーストレディ」の条件をクリアしていると賛美された

確かに彼女は頭が良く、強く、正義感も強い。
  彼女の呼び名は「野党の大統領夫人」「デカブリスト(註1)の妻」。
  今までユリアを称える賛辞はファーストレディとしてのものだったし、彼女自身も「ナワリヌイ氏の妻」として生きてきた。

「ユリア・ナワルナヤは、真の『ファーストレディ』の条件をとっくの昔にクリアしている」。故ゴルバチョフ元大統領が援助して創設されたロシアの独立系新聞『ノーバヤ・ガゼータ』は、「彼女は、本物のファーストレディのように、これらの敵に対して、生意気で無礼ではなく、冷血な威厳をもって話す方法を知っています」とユリアを賛美する。

「ナワリヌイ氏は、ユリアさんの人生における並外れた役割を決して否定しない。彼は妻を隠すことなく、誇示することなく公然と愛を告白し、彼女の写真をインスタグラムに投稿し、彼女を崇拝し、守り、人生で自分を救うのは彼女であるという事実を隠さない。男性は自分のことと自分のビジネスのことだけを話すべきで、妻のことについて話すべきではないと信じている幼稚な男性の時代に(うぬぼれとプライドがそれを許さないのです、ご存知のとおり)、これはまれな資質です。政治家にとってこれは、二重に珍しい資質です」と。

そして、「ロシアの政治はソ連時代から、なぜか『二列目』に恵まれていない」というのである。「奇跡が起きたのは、これまでゴルバチョフ家とナワリヌイ家の2回だけです」。

(註1)1825年にロシアで皇帝専制と農奴制の廃止を目指して、貴族の青年将校たち「デカブリスト」が武装蜂起したが、あえなく失敗してシベリアに送られた。貴族の妻二人が、夫と運命を共にするためにシベリアに向かったという史実をもとにした、詩人ネクラーソフの作品名。