教員たちにも価値観の揺らぎを与える

また、もうひとつの理由は、一人ひとりの中に、価値観の揺らぎを作って、本質的なことを見つめるきっかけを作りたかったことです。特に子どもたちが教員とか保護者から影響を受けてきた価値観に対し、揺らぎを与えることができます。

同時に、生徒たちと一緒に僕の話を聞いている教員たちに対しても、価値観の揺らぎを与えることも重要です。校長と正反対のことを言うと、「えっ、違うよ」という生徒からの反応があるわけです。こうして教員が日常使う言葉が洗練され、意識も改革されていくわけです。

制服を着た中学生
写真=iStock.com/mapo
※写真はイメージです

ここで、麹町中で配布したコラムを紹介しましょう。

麹町中で配布したコラム「心と行動、どちらが大事か」

「心と行動、どちらが大事か」(文責)校長 工藤勇一

《先日の3年生の修学旅行において、奈良の薬師寺の僧侶の方がこんな話をしてくれました。

「心の持ち方、あり様によって行動が変わり、行動を変えると心を変えることができる。」と。

具体的にはこんなニュアンスのお話だったでしょうか。

「『面白くない、つまらない』と思って授業を受けていると、ついつい頭が下がり、居眠りしてしまったりする。それは、自分の中にあるぐうたらな心が自分の行動をそうさせているのだと。しかし、たとえ、寝不足などで体がひどく疲れきっていたとしても、無理やりにでも姿勢を正し、頭を上げ、顔をしっかり意識して向けていくことによって、元気な心が生まれてくる」

心が行動を決め、行動は心を変える。薬師寺でのお話は心と行動の密接な関係を捉えたとても興味深いものでした。

さて、人は時々「心」にこだわることがあります。特に中学生ぐらいの年代は、自分の心のあり様がとても気になる時代です。自分を見つめ、自分の生き方を深く考える。それは、自分を成長させるためにとても大切なことです。素敵なことだと思います。

しかし、心にこだわりすぎると、善いことをしようと思っても、人目を気にするあまり、臆病になってしまうことがあります。実際せっかく善い行動をしても、「本当はあの人、優しくないのにね」「いい子ぶっているだけだよ」「結局、内申のためだよね」など、否定的に捉える言葉が聞こえてくることがあるのも残念ながら人の世の現実です。

しかし、ここでよく考えてみましょう。ここに、まったく正反対の二人がいるとしましょう。一人は「心の底から優しいことをしたいと思っているのに人目を気にするあまりできない人」。そしてもう一人は、「決して純粋な理由ではないけれど、善いことを行っている人」です。

さて、どちらがより人として価値があるのでしょうか。

人は行動の積み重ねでこそ評価されていくものだと私は思います。そもそも人の心の中など簡単にわかるのでしょうか。私などは自分の心さえ、よくわからないところがあります。誰しもきっとそんなものだと思います。だから生徒の皆さんに言いたい。

「善い行いをしている人をけなしたりしないで。そして、善いと思うことは、できる限り行動に移そうよ」》