ライバルは同期の桑田真澄

ライバルは同期の巨人ドラ1桑田真澄だとマスコミは騒ぎたて、遠山も「桑田君には絶対負けない。彼がエリートなら、ぼくは雑草のたくましさをみせてやる」なんて強気なコメントで答えた。

体重オーバーでキャンプインを迎え開幕こそ二軍スタートも、4月27日の中日戦で早くも一軍デビューを飾り、1回無安打無失点。2戦目から先発にまわると、5月14日の広島戦で初勝利を初完投で記録する。球団では江夏豊以来、19年ぶりの高卒ルーキーの勝利投手誕生だ。

直球のスピードは130キロ台だったがカーブの制球がよく、当時珍しかったカット・ファストボールは打者の手元で食い込むようにスライドする。遠山のそのマウンドさばきと度胸の良さは、やがて“江夏二世”と呼ばれるようになる。

ローテーションの一角を勝ち取り、6月20日の中日戦では途中で鼻血を流しながらプロ初完封勝利。86年が現役ラストイヤーとなる広島の山本浩二は「腕が遅れて出てくるから、なんともタイミングがとりづらい」と戸惑い、自チームの岡田彰布は「テンポがいいので実に守りやすい」と期待のアレを絶賛した。

あらゆる記録が、江夏以来の快挙。それでも『週刊ベースボール』86年6月30日号の斬り込みインタビューでは、「ピンとこないですね。あの人(江夏)が、タイガースで投げていたころの記憶がありませんから」と飄々と答える67年生まれの遠山もまた、怖いもの知らずの“新人類”と呼ばれた若者だった。

トレードはいつも突然に

1年目は27試合で8勝5敗、防御率4.22。新人王は長冨浩志(広島)に譲ったが、将来のエース候補としては上々の1年目を過ごす。しかし、秋に参加したアメリカの教育リーグで、落ちる球をマスターしようと投げ込むうちにヒジと肩を痛めてしまう。さらにはオフに夜の私生活を写真週刊誌に激写されるプロの洗礼も浴びて、2年目は0勝3敗と急失速。3年目の88年は主に中継ぎで2勝9敗に終わると、早くもトレード話が報じられるようになる。

そして、ヒジの故障の影響もあり、わずか7試合の登板で未勝利に終わった90年。フロリダの教育リーグから帰国すると、空港で報道陣に囲まれ、自身のトレード成立が近いことを知らされる。秋季キャンプ中に中村勝広監督に呼ばれ、「頑張ってこい」とロッテへの移籍を告げられるのだ。

ベテランの高橋慶彦との交換で、まだ23歳の元ドラ1左腕がパ・リーグへ。ロッテの金田正一監督は「まず、その体を絞り込まなきゃ。新人の時のフォームに戻そうとしないで、新人の時の体型に戻そうとすればいいんや」とカネやん流エールで歓迎した。