「折れすぎている」ことへのベテラン党員の不満

実は同党の「現実・柔軟路線」に対し、戦前からの苦しい時代を乗り越えてきた党の歴史を長い間学習しているベテラン世代の党員は、必ずしもしっくり来てはいなかったのではないか。他党に「折れすぎている」とのフラストレーションは、「共闘」を批判する外野より、もしかしたら内部にこそあったのかもしれない。

一方で同党には「現実・柔軟路線」の下、選挙による民意の付託を得て政界入りした中堅・若手の国会議員や地方議員も少なくない。彼らは他党ともフランクに付き合い、SNSなどを通じて自分の言葉を持ち、党外の有権者とも対話のチャンネルを持つ。55年体制当時の同党にはあまり見られなかった存在だ。

両者の間に微妙な認識の違いが生まれていたのではないだろうか。そのことを感じさせるきっかけになったのは、他ならぬ田村氏だった。

共産党内に流れる不穏な空気

2010年初当選、当選3回の田村氏は、どちらかと言えば「現実・柔軟路線」の下で育った世代のはずだ。田村氏は政策委員長時代、21年衆院選での党の退潮について「野党としての共産党ならば、スルーした問題が、政権に関わる存在になった時、全く異なる不安になるのでは?」などとツイッター(現X)に投稿して党内で問題視され、これを削除した。

筆者はこの衆院選での野党陣営「敗北」の理由が、共産党との「共闘」戦術にあるという立場はとっていないが、田村氏の発言は、当時の野党議員のものとして自然に受け止められるものだ。この程度の発言が問題視される党内の空気に、筆者はかすかな危惧を抱いた。

その危惧は今回の党大会で、田村氏自身によって確信に変わった。委員長に就任した田村氏は、党首公選制の導入を著書で訴えた党職員の除名問題に関し「排除ではなく包摂の論理の尊重を」と発言した大山奈々子・神奈川県議に対し「発言者の姿勢に問題がある」などと、厳しい言葉で延々と非難した。発言は党員の間に衝撃を生み、SNSでは今なおさまざまな声が飛び交っている。