生活保護を受け、母親からの暴力が激化

最終的に両親は離婚して、母親は生活保護を受けた。父親と距離を置いて経済的に安定するようになったが、母親からの暴力はもっと激しくなった。

「離婚して小さい風呂なしのアパートに住んだ。隣の家が同級生の男の子のプロパンガスのガス屋さんで、ガス屋のおじさんがやたらと私によくしてくれた。アパートに電話がなかったから、ガス屋の電話を学校の連絡網に使っていいよって。同じよ。だからガス屋のおばさんが些細なことで私に文句言ったり、嫌がらせしたり、いろいろあった。おばさんは、母親とおじさんがデキているのを知っていた。だから私が責められるみたいな感じになった」

窓の前で孤独な小さな子供
写真=iStock.com/Kenishirotie
生活保護を受け、母親からの暴力が激化した(※写真はイメージです)

真冬に裸で外に出され、凍死するかと思った

美衣さんは中学生になって不良になった。それでも親の存在は絶対、絶対服従という洗脳は解けなかった。母親の虐待、暴力、折檻、下着姿で表に出すなど、身体的虐待の通常運転は続いた。

「体が大きくなっても、母親には抵抗しなかった。貧しい家の子どもだったから小学校のときから不良中学生に目をつけられてて、誘われてやっぱり不良になる。誰も助けてくれないってわかっているから、不良でも自分の将来は考えるわけ。でも、勉強したいと思ってもお金がない。とにかく学校に通えるだけでありがたいと思えって。もちろん参考書みたいなのは買えない。それでも、ちょっと点数悪くなると、ひどい折檻を受ける」

「真冬に裸で外に出されたとき、大げさじゃなくて凍傷とか凍死するかと思った。

いい加減もう耐えられないと思った。先輩に逃げ場所みたいなところを確保してもらって、外の洗濯機の後ろに着替えの服を隠した。荷物とか自分の財布とかを近所の友だちに預かってもらって、用意周到に準備して、次に家を追い出されたら逃げようって」

「で、また母親が怒鳴り散らして、こん棒で私の体を叩きまくり、裸になることを命令されて外に出された。そのときに、隠してあった洋服を着て家から逃げた。それから母親からの虐待が凄まじいこと、異常な人格であること、決して教育やしつけではないことを、あらゆる人に話すことになった」