実家の鹿児島でお茶を売る元甲子園優勝投手

オリックスやメジャーリーグで活躍したイチローさん(現マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)は研修を経て、全国の高校球児を指導している。このように、元プロのアマ指導が容易となり、セカンドキャリアの選択肢に幅が広がったことは好ましいことだといえる。

華々しいキャリアを辿りながら、野球界とはまったく別のセカンドキャリアを歩む元プロもいる。鹿児島県南九州市頴娃えい町で祖父・勲さんが創業、父・和幸さんが1972年に設立した「下窪勲製茶」で働く下窪陽介さんだ。下窪さんは鹿児島実業高のエースとして、1996年の選抜高校野球大会で全5試合を一人で投げ抜き、鹿児島県勢初の甲子園優勝投手となった。その称号は、今もなお下窪さん一人だけのものだ。

進学した日本大学では右肩痛の影響もあり、3年から打者に専念。社会人の日本通運で打撃の才能が開花すると、4番打者として6年連続で都市対抗野球大会出場に貢献し、インターコンチネンタルカップ日本代表も経験。2006年、大学・社会人ドラフト5巡目で横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)から指名を受け、プロの門を叩いた。

ただ、プロの一流投手が投げるボールはアマとレベルが違った。中でも、当時、中日に在籍していた台湾出身の左腕、チェン・ウェイン投手に衝撃を受けたという。

甲子園優勝経験を持ち、今は「下窪勲製茶」の知覧茶を売る元横浜DeNAベイスターズの下窪陽介さん
筆者撮影
甲子園優勝経験を持ち、今は「下窪勲製茶」の知覧茶を売る元横浜ベイスターズ(現DeNA)の下窪陽介さん

「何で俺がいらっしゃいませとか言わないといけないのか」

「チェン投手が投げるストレートは、わかっていても前に飛びませんでした。軽く投げているのに、ボールがホップする感じ。左投手は得意だったから、それを打てなかったのがショックで、そこからバッティングが狂いました」

プロ1年目の2007年こそ72試合に出場したが、2年目以降は2軍暮らしの日々が続き、4年でシーズンが終わった2010年オフ、球団から戦力外通告を言い渡された。12球団合同トライアウトにも参加し、練習を続けながら吉報を待ったが、獲得する球団はなく、現役を引退。サラリーマン生活を経験したのち、2015年から故郷に戻り、家業の「下窪勲製茶」で働き始めた。

プロ野球選手のセカンドキャリアとしては非常に珍しい製茶業の営業担当として、デパート側と交渉して催事場や物産展で出店し、知覧茶などの自社製品を販売する。家業のため、幼少から親しみはあったが、いざ自分がその職に就いてみると、慣れない接客業に戸惑った。「甲子園優勝投手」「元プロ野球選手」のプライドが仕事の妨げになることもあったという。

「最初は抵抗がありました。プライドが邪魔をして『何で俺がいらっしゃいませとか言わないといけないのか。買いたいのなら勝手に買っていけばいい』とか『そっちからこいよ』と思ったこともある。でも、そんな態度じゃまず売れませんよね」