「スジの悪い努力」に人生を空費してしまう

さて、話を「公正世界仮説」に戻して進めます。公正世界仮説、すなわち「頑張っている人はいずれ必ず報われる」という考え方は、実証研究からは否定されており、努力の累積量とパフォーマンスの関係は、対象となる競技や種目によって変わる、ということを説明しました。

つまり、いたずらにこの仮説に囚われると、やってもやっても花開くことのない「スジの悪い努力」に人生を浪費してしまいかねない、ということです。

さて、ここからは「公正世界仮説」の別の問題点を指摘します。それは、この仮説に囚われた人は、しばしば逆の推定をするということです。つまり「成功している人は、成功に値するだけの努力をしてきたのだ」と考え、逆に何か不幸な目に遭った人を見ると「そういう目に遭うような原因が本人にもあるのだろう」と考えてしまうわけです。

いわゆる「被害者非難」「弱者非難」と言われるバイアスです。例えば日本にも「自業自得」「因果応報」「人を呪わば穴二つ」「自分で蒔いた種」など、弱者非難に繋がることわざがありますね。

「世界は公正」の考えは社会や組織を逆恨みするようになる

ナチスドイツによるロマ人やユダヤ人虐殺、あるいは世界の多くの国々で行われた弱者への迫害は、このような世界観、すなわち「世界が公正である以上、苦境にある人は何らかの理由があってそうなっている」という世界観に基づいてなされたということを決して忘れてはなりません。

さらに「努力は報われる」という公正世界仮説に囚われると「社会や組織を逆恨みする」ことになりかねないという点も指摘しておきたいと思います。ロジックは非常に単純です。「世界は公正でなければならない」とすると、実直に誠実に努力を続けている人は、いずれ抜擢されたり脚光を浴びたりしなければなりません。

しかし、先述した通り現実の世界は公正ではないので、日の当たらない場所でいくら頑張ったとしても抜擢もされず、脚光を浴びることもない。すると何が起きるか。