日記で「あるがまま」に眺める練習をする

第三者として自分を見るために一番のおすすめ方法は日記をつけること。今日起きたことを朝からたどって書き記す。なるべく感情をこめずに書く。良かったこと、悪かったことを箇条書きするのがおすすめです。そうするとあることに気が付くと思います。

「いろんなことが起きている」「良いことも悪いことも起きている」と。

そして書き記すことは、自然と自分が観察者になることを意味します。そのため「あるがまま」に眺める練習をするにはうってつけの方法なのです。自然と人生を俯瞰的に捉えられるようになったら、日記をつけるのをやめても大丈夫です。

ノートに手書きする女性
写真=iStock.com/Pikusisi-Studio
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また人に話すのもいいでしょう。誰かに今日一日起きたことを話す。ただ愚痴になってしまうと、俯瞰的なものの見方はできません。感情が入り、視野が狭くなり、全くの逆効果になってしまいます。

「今日こんなことがあってさ」といった具合に話してみましょう。誰かに語ることで、自分が観察者、叙述者になるのです。

またときには話した相手からフィードバックがもらえるかもしれません。「でもこれは、相手から見たらこういう話かもしれないね」などといった具合にです。

別の客観的意見をもらうことも「あるがまま」に人生を眺める手助けになると思います。

こうした手法を使って、どんどんアナタの幸せを見つけていきましょう。

なぜ他人と人生を比較してしまうのか

よく、他人と比較してモヤモヤする。落ち込むという人がいます。その気持ちは大変よくわかるのですが、実は他人と比較することには何も意味がありません。

そもそも人間は他人の人生を生きることはできません。だから同じ土俵にはいないのです。それなのにどうして、比較してしまうのか。

それは、人間は「似たもの探し」をする傾向があるからです。

同じ年代、同じ性別、同じ職業、同じ会社、同じ家族構成。どんどんどんどん共通点を探してしまいます。おそらく人間には「所属を求める」欲がありますから、それゆえなのでしょう。

しかしたまたま共通点があるだけで、アナタが比較する相手とアナタは全く別のものです。生まれも育ちも性格も、求めるものも違うはず。

たとえばスマートフォンと炊飯器「どちらが優秀か」なんて考えますか? そんなこと考えないはずです。

実は私もよく比較をして、自分が優れているぞと思ったり逆に落ち込んだりすることがありました。それは大学生ぐらいまでの話です。私は医師の息子として生まれ、幸いにも成績がよく、親の希望した中学、高校、大学、医学部に入りました。

親の敷いたレールに乗って生きてこられました。