社会人のスタートは議員秘書から

それからは20枚ほどの履歴書と就職雑誌を抱えて、一般企業を回る日々。卒業式が近づくころには、いくつか内定をいただくことができましたが、マナー講師になりたい気持ちに変わりはなく、将来を考えて結局、すべて断りました。内定をいただいた企業には本当に失礼をしてしまい、今でも申し訳なく思っています。

そのような状況を見て、スチュワーデス学校の校長から「あなたは秘書として生きていきなさい」と、国会議員の秘書職を紹介してもらうことになりました。私は晴れて、参議院議員の秘書として社会人の仲間入りをすることになったのです。

分厚い書類を整理している女性
写真=iStock.com/Korrawin
※写真はイメージです

あわただしく就職活動に勤しんでいるあいだ、両親の離婚協議は難航していました。たがいに自分の立場でしかものを言わない二人を見て「なんて美しくない人たちなんだろう」と嘆いていました。あの当時、人の美しさとは何か、ということについて、とことん考えました。

世の中には自分とまったく同じ考えの人なんていません。たとえ相手が言っていることが自分の考えかたとは相いれないものであっても“受けとめ”てあげる気持ちを持っている人が、人として“美しい”のではないか……。そう思うようになっていったのも、両親の醜い争いを見ていたからでした。

そんな悲嘆のなかにいた私にとって岩沙先生は、人としての理想に一致していたのだと思います。それほどに岩沙先生は外見も内面も美しい人でした。私がマナーに「内面の美」を重視し、追求してきたのはその影響を受けているからだと思います。

秘書時代に学んだスキル

私が秘書についた人物は、当時、参議院議員だった小野清子先生。元オリンピックの体操選手で、スポーツ・文教関係の役職を歴任され、小泉純一郎氏が内閣総理大臣のときには入閣もされています。

秘書の仕事をこなしながらも私の頭のなかは、マナー講師になったときにこの経験をいかに役立てるかを考えていました。もちろん、議員の小野清子先生のことはリスペクトしていましたし、お仕えする気持ちは持っていましたが、見るもの聞くものすべて、自分がマナー講師になったときにはこうしようああしよう……と思っている自分がいたのも事実です。さらには、当時はまだ両親の離婚騒動の渦中でもあり、何かと迷惑をかけてしまいました。