どうすれば女性も男性も生きやすい世の中になるのか。雇用ジャーナリストの海老原嗣生さんは「女性の中でも都合のよいジェンダー論を振りかざしている人がいる。次世代に嗤われないようにアンコンシャス・バイアスと向き合っていく必要がある」という――。

独身者も次世代社会の継続について考える義務がある

この連載は、少子化対策を主テーマとするものではありません。女性(そして男性も)が、窮屈な思いをせず生きていくためには、どうしたら良いかを考えています。

「私は一生独身で通し、そのための貯蓄も万全だ」
「将来、老後は施設に入って過ごす。なんの心配もない」

もちろん、そんな主義・信条も認めるべきでしょう。

ただ一方で、社会には適性数の「人間」が必要であり、それが不足すると、自分たちの生活が損なわれるということも忘れないでください。

私が尊敬する研究者の一人、慶應大学の権丈善一先生(商学部教授)から教えていただいたのですが、年金の世界には「Output is central」という言葉があるそうです。意訳するなら、「生産活動は何より大切だ」となるでしょうか。

よく、年金問題について訳知りな人が「現状の賦課方式がいけない、積み立て方式に変えるべきだ」という話をします。賦課方式というのは、現役世代のお金で、高齢者を扶養するということで、これだと、少子化により若年者が減ると、現役世代の一人当たり負担が増えてしまいます。一方、積み立て方式であれば、各自が現役時に積み立てた年金額を、各自がそれぞれ高齢期に使うというものなので、少子化でも負担は増えません。一見、積み立て方式のほうが合理的と思われがちですが、実際は多々問題が生じます。たとえば、積み立てたお金がインフレや経済騒擾そうじょうなどで価値低減してしまうこと。実際、戦中に積み立て方式で始まった厚生年金制度は、戦後のハイパーインフレを乗り越えられず、以後、賦課方式へと移っていきました。予想以上に寿命が延びて、想定額では足りなくなってしまうこともあります。現行年金は制度設計時にここまでの寿命の延びを想定していなかったので、積み立て方式であれば、人生の晩年が無年金となっていたはずです。

介護者と高齢者の手
写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです

高齢期に必要なサービスを提供してくれるのは誰か

そして何よりも忘れてはならないのが、「Output is central」=生産活動は何より大切、なのです。

もし、各自は各自の貯蓄で生きていくとしても、高齢期にあなたが入所する施設では誰が働くのでしょう? 施設に入らない場合でも、買い物や飲食や配送などは利用するでしょう。そうしたサービスは、誰が提供してくれるのでしょう?

少子化が進んだ社会では、生産活動を行う人材が不足します。そこで人の採用競争が激化し、人件費が急上昇する。結果、モノを買うのも、サービスを受けるのも、想定以上に出費がかさむようになるでしょう。それで、貯蓄不足に陥り、生活レベルは下がっていく……。「何よりも生産活動が大切」と気づいていただけたのではないでしょうか。

つまり、「私は独身で自由に生きたい」という人たちも、その分、次世代社会の継続については、真摯しんしに考えてほしいと思っています。