第二次世界大戦での敗戦を、当時の日本人はどのように受け止めたのか。学習院大学の井上寿一教授は「軍が8月15日以降も徹底抗戦を呼びかける宣伝ビラをまいたこともあり、『昭和天皇の玉音放送はデマだ』と信じない人もいた」という――。

※本稿は、井上寿一『戦争と嘘 満州事変から日本の敗戦まで』(ワニブックス【PLUS】新書)の一部を編集したものです。

FACTとFAKEの入れ替わるブロック
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国民に敗戦を告げる「重大なラジオ放送」

この間にも戦況は日本の敗戦を不可避としていた。

6月23日、沖縄の守備隊が全滅した。米軍の日本本土上陸作戦は時間の問題に過ぎなくなった。8月6日、広島に原爆が投下される。8月8日、ソ連が対日宣戦を布告する。翌日、ソ連軍の侵攻が始まる。同日、今度は長崎に原爆が投下される。二つの原爆投下とソ連の対日参戦は、日本政府に敗戦を受け入れさせる。8月14日、日本政府はポツダム宣言の受諾を決定して、連合国に申し入れた。

問題は日本の降伏をどのようにして国民に伝えるかだった。そこで考え出されたのが玉音放送である。政府がポツダム宣言を受諾したにもかかわらず、軍部の一部は徹底抗戦の構えをとっていた。彼らがクーデタを引き起こすおそれもあった。一刻も早く正確にもっとも正式な内容の国家意思を伝達する手段だったのがラジオである。

玉音放送は予告された。前日の午後9時と当日の午前7時過ぎである。「重大なラジオ放送」との予告だけで、戦争終結の内容とはわからなかった。

ソ連への宣戦布告と誤解する人も

いよいよ8月15日午後12時、時報のあと、ラジオが重大発表を伝える。居住まいを正して玉音放送を聴いた国民のどれほどがその内容を正確に理解できただろうか。難解な漢語交じりの詔書の意味は、ラジオの雑音のせいもあり、聴き取るのはむずかしかった。なかには重大発表の意味を対ソ開戦と誤解する人もいた。

山田誠也は玉音放送を大衆食堂のなかで聴いた。食堂の「おばさん」が山田にたずねた。

「どうなの? 宣戦布告でしょう? どうなの?」

ここでの「宣戦布告」とはいうまでもなくソ連に対してのものだった。