「当然のこと」ができていなかった阪神

私は投手をやっていたので、このあたりの心理はよくわかるのだが、早打ちしてくる打者が多いチームより、じっくりボールをよく見て待たれるほうが精神的にバテてくるものだ。それで試合の中盤から後半にかけて投げミスが増えてきて、結果的に痛打を食らう経験も幾度となくした。だからこそ矢野前監督が提唱した「積極的に打ちにいく」という野球については、私は否定的だった。

それが、岡田監督になってからは、各打者がじっくり配球を読んで打ちにいっているケースが増えている。それが証拠に、一番を打つ近本光司と二番を打つ中野拓夢は2022年シーズンより四球が格段に増えている。これは一、二番を打つ打者の本来あるべき姿といっていい。

彼らが相手投手に球数を多く投げさせるということは、球種やボールのキレなどを見せることができるうえ、相手バッテリーがどういった配球を組み立ててくるのかを後ろを打つ打者に知らせることができる。これは勝てるチームに必要な要素のひとつといっていい。

聞けば、岡田監督は四球で出塁することも年俸査定でプラスに評価するよう球団に働きかけたという。

つまり、打率だけでなく出塁率も大事だというのは当然のことだが、こうしたことが、これまで阪神でできていなかったのは、たんにそれまでの監督がやらせなかっただけで、「やればできる」ことを近本と中野が証明したにすぎないと私は見ている。

星野とも野村とも違う

三つ目は「岡田監督と選手の関係は親父と息子である」ということだ。じつは岡田が監督になったことで、いちばん大きいのはこの点だと、私は声を大にして言いたい。

岡田のいまの年齢からすると、選手たちから見れば、実の親以上の年齢差があり、選手によっては「おじいちゃんと孫」ほどの年齢差があるかもしれない。けれども、仮にそうであったとしても、岡田監督から発せられる雰囲気は「怒ると怖いオヤジ」そのものだ。

もちろん、岡田は、かつての星野仙一さんのように選手に対して鉄拳制裁を振るうようなこともしなければ、野村克也さんのように選手に対してボヤくようなこともしない。あくまでも雰囲気だけ「怖いオヤジ」であるということだ。

だが、そのことによって、ベンチ内の雰囲気は一定の緊張感が保たれ、だらけるようなことがない。たとえ劣勢でも、試合終盤に見せ場をつくることが2022年シーズンまでより増えたのは、こうしたことと関係しているように思える。

それでは、2022年までの矢野前監督のときはどうだったのか。それは「兄貴と弟」のような雰囲気だった。一般的な兄弟の関係であれば、「仲よく支え合う」ほうが微笑ましいし、理想ではあるだろうが、それはあくまでも血縁関係の兄弟間でのことで、勝負の世界では兄弟の絆や情を持つことほど不要なものはない。