戦国時代に活躍した真田昌幸とはどんな武将だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「自国の領土と家を守るためなら、主君に歯向かうことも、主君を変えることも厭わないくせものだった。家康は昌幸に翻弄され続け、生涯苦しめられた」という――。
歌川国芳画・川中島百勇将戦之内:拾六才初陣真田喜兵衛昌幸
歌川国芳画・川中島百勇将戦之内:拾六才初陣真田喜兵衛昌幸〔図版=PD-Art(PD-old-100)/Wikimedia Commons

家康を悩ませ続けた戦国最強の「くせもの武将」

ラストに近い場面で並々ならぬ存在感を示したのは、佐藤浩市が演じる真田昌幸だった。NHK大河ドラマ「どうする家康」の第35回「欲望の怪物」。

天正15年(1587)2月、それまで越後(新潟県)の上杉景勝についていた信濃(長野県)の国衆の真田昌幸は、大坂城の羽柴秀吉の元へ出仕。その際、徳川家康に帰属するように命じられ、同年3月18日、駿府城(静岡県静岡市)に家康を訪れている。ドラマで描かれたのは、そのときの場面だった。

家康重臣の酒井忠次(大森南朋)が「しからば沼田の地を北条に渡してくれますな」と問いかけても、昌幸は黙っている。そして、しばらくして答えた。「徳川殿には幾度も同じことを聞かれ、そのたびに同じお答えをしてまいった。徳川殿は言葉がおわかりにならないのかと」。

家康(松本潤)に「言葉は人並みにわかる。なぜ沼田を渡してくれぬ?」と尋ねられると、昌幸は一つの芝居に打って出た。家康の後ろにある壺を「見事な壺でございますな」とほめると、脇に控える嫡男の信幸(吉村界人)に「この壺をそなたにやろう」という。それをとがめられると、「ご存じであったか、他人のものを他人にやることができないことを。沼田はわれらが切り取ったもの。徳川殿が北条にやることはできませぬ」と言い切った。

この場面は昌幸の言い分をよく表している。だが、「沼田」云々といわれても、一般の視聴者にはわかりにくかったのではないだろうか。そこで、まず「沼田」を巡って昌幸と家康がこじれてきた経緯を以下に説明しよう。