すぐにはブレイクしなかったSMAP

このパナソニック製品の愛称は、“おたっくす”だった。“お宅”+“ファックス”のネーミングだったのだろう。その呼び方は普及しなかった。だが、家庭用のファクシミリの普及にはこのCMも貢献していただろう。90年に43万5000台だったファクシミリ通信網契約数は、4年後の94年には、67万8000件にまで伸びた(総務省『平成27年版 情報通信白書』の概要)。

SMAPもアイドルとしてすぐにブレイクしなかった。同時代に光GENJIがいたからだろう。88年のオリコンのシングルレコードの年間売上ランキングチャート1、2、3位を『パラダイス銀河』、『ガラスの十代』、『Diamondハリケーン』が独占した。SMAPは、88年に光GENJIのバックダンサーだったスケートボーイズから選抜されたメンバー6人で結成された。シングルデビューは、91年。つまりパナソニックのCMの当時は、まだデビューして間もない時期である。

光GENJIとSMAPは、年齢的には同世代

速水健朗『1973年に生まれて 団塊ジュニア世代の半世紀』(東京書籍)
速水健朗『1973年に生まれて 団塊ジュニア世代の半世紀』(東京書籍)

光GENJIとSMAPは、レコードデビュー時期が4年違い、活躍した時代にもややずれがあるが、年齢的には同世代である。光GENJIでは、最年少となる赤坂晃と佐藤敦啓の2人が1973年生まれ。SMAPでは、年齢的に中心にいる稲垣吾郎が73年生まれだ。中居正広、木村拓哉がその1歳上で72年生まれ。草彅剛が1歳下の74年生まれ。香取慎吾は77年生まれである。年齢の分布的に、SMAPは団塊ジュニア世代を完全にカバーしている。

SMAPは歌番組が減った時代に、バラエティー番組に活路を見いだした。『愛ラブSMAP!』(テレビ東京、91~96年)、『夢がMORI MORI』(フジテレビ、92~95年)などのレギュラー出演をきっかけに、活躍の場を増やしていく。ドラマ『あすなろ白書』(93年)に木村拓哉が出演、94年3月発売の楽曲『Hey Heyおおきに毎度あり』でオリコンチャート1位を獲得。ちなみに2016年年末の解散を明らかにする書面もファックスでマスコミ各社に伝えられた。

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