哲学者カントは、自分の子供が他人の子供に負けないように競争させることの弊害を説いた。そこにはどんなロジックがあるのか。独トリア大学付属カント研究所研究員・秋元康隆さんの『人間関係の悩みがなくなる カントのヒント』(ワニブックスPLUS新書)より、カントの言葉を紹介する――。
母の手を握って歩く子
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優秀なのにいつも自信なさげだった友人

ここ〔=教育〕には二つの障害がある。
(一)両親が一般に子供が出世することだけを気にかけることであり、そして、(二)君主が臣民を自分の意図のための道具のようにしか見ないということである。
アカデミー版(Ak)IX 447f.

私は、カントのこの言葉が、今の日本社会に向けた言葉であるかのような錯覚を覚えるのです。というのも今まさに、日本の政府は学校教育を通じて、私たち国民を自分たちの都合のいい道具に仕立て上げようとしているように見えるからであり、(※)また、自らの子供の出世のことばかり考えている親は現にたくさんいるだろうからです。

私の学部生時代にA君という学友がいました。彼はまじめで、頭が切れる、優秀な学生でした。ただ、なぜか彼はいつも自信なさげにしていたのです。

(※)秋元(2022年)、第2章「道徳教育」参照。

母親との短い会話で失踪した理由がわかった

A君はそれまで真面目に大学に来ていたのですが、ある日を境に急に大学に姿を見せなくなりました。「いったいどうしたのか?」と気になりはじめた頃に、彼の携帯電話から着信がありました。電話に出てみると、彼のお母さんを名乗る人からだったのです。

彼女の話によると、A君は何も言わずに、もう何日も家に帰っていないというのです。つまり、彼は失踪してしまっていたのです。携帯電話も家に置きっぱなしで、A君の母親は電話帳のなかにあった番号に手あたり次第掛けているところだったのです。

私は何も知らないし、思い当たる節もなかったので、有益なことは何も言うことができませんでした。A君の母親と会話したのはせいぜい2、3分だったと思います。しかし、私はその短い会話のなかで、A君が失踪してしまった原因の心当たりがついてしまったのです。