「追及される材料」がなければ有効活用できる

さて「対談形式」が当たり前になれば、すべての記者がカメラに顔を出して、「時の人物」にインタビューできるようになるということだ。いわば、すべての記者が今や絶滅危惧種と化している「芸能レポーター」になれてしまうのだ。

もし、私がフリーランスの記者、あるいは会社を辞めることを模索している現役記者であれば、なんとか「ネット時代の名物記者」として名乗りを上げるべく、「セルフプロデュース」に知恵を絞るかもしれない。そんな記者が続出すれば、会見はもはや収拾がつかなくなってしまう。

まとめると、「対談形式」のメリットとは「基本的な質問を抑制できること」「失礼な聞き方を抑止できること」。デメリットは「登壇者の逃げ場がないこと」「目立ちたがり屋の記者を誘発してしまうこと」だ。

では、この「対談形式」を使いこなせるのは、どのような場面、そして人物なのだろうか。

今回、キャンドル・ジュン氏の「対談形式」がうまく機能したのは、そもそも追及される材料がなかったからだ。「奔放な妻に不貞を働かれた被害者」なので、逃げ場を用意する必要がない。出席した記者も不意をつかれた格好で、「目立ちたがり屋」が登場する余地もなかった。

もし「対談形式」を有効活用できるとすれば、今回のキャンドル・ジュン氏のように「追及される材料が一切ない」状況だろう。

「標準形」会見には採用され続けてきた理由がある

あるいは「追及される材料」があったとしても、橋下徹大阪府元知事のように、「喧嘩上等」とばかりに、いつでも記者を「個別撃破」できるほどの能力を持つ人物だろう。とはいえ、もし橋下徹大阪府元知事がキャンドル・ジュン氏のように「私は記者に真摯しんしに向き合って答えたい」と言って会見を開いても、周囲からは「個別撃破する気満々だな」としか受け止められないだろうが。

さて、上述したメリットの「基本的な質問を抑制できること」「失礼な聞き方を抑止できること」ですら、本当に「メリット」であるかどうか、実は私は疑わしいと考えている。「災い転じて福となる」ではないが、記者の非常識な振る舞いが、結果的に登壇者への支持に転じることもあるからだ。

実際、JAXAのロケット発射「中止」会見では、記者の態度に批判が集中し、「中止」そのものに焦点が当たることは少なかった。会見の登壇者にとっては不愉快だろうが、「記者の非常識な振る舞い」が世論形成という面では好結果を生み出すこともあるのだ。

いずれにせよ、前代未聞の「対談形式の記者会見」。応用しようと思っても、実際の機会は極めて少ないと言えそうだ。長く、そして国を問わず「標準形」として行われてきた会見のフォーマットには、主催者が好んで採用し続けてきただけの理由があるのだ。

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