ジャンヌ・ダルクは百年戦争でなぜ名を上げられたのか。歴史小説家の黒澤はゆまさんは「ジャンヌは戦争の素人だった。先入観にとらわれない女性ならではの発想で次々と効率的な戦術を築き、イギリスから勝利をもたらすことができた」という――。

※本稿は、黒澤はゆま『世界史の中のヤバい女たち』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

フランス・パリのリヴォリ通りにあるサン・ジャンヌ・ダルクの黄金像
写真=iStock.com/Flory
※写真はイメージです

序列に縛られない女だけが持つ切り札

iモード開発者の松永真理さんは、その著書『なぜ仕事するの?』のなかで、とある人事部長のこんな言葉を紹介しています。

「いまの時代、女性が優秀だなあと思うのは手持ちのカードのなかに切り札のジョーカーを持っているからなんです。男にはそれがないから、上司の顔色をうかがったり、自分の意見も言えなくて縮こまってしまう。ところが女性はいざとなればエースさえも切れる切り札を持っているんです。つまり、この会社がすべてではない、といえる強みがあるんですよ」

この会社という言葉を組織に置き換えてみれば、どの時代でも通用する論理かと思います。

生涯、組織・群れのなかでパワーゲームをプレイし続けなくてはならない男に対し、別の選択肢を持つ女性は組織の序列やルールから自由。ときに奔放に振る舞って「空気が読めない」と男側の反発を招いたとしても、彼女たちの働きは硬直化した組織に風穴をあけ変革を促してきました。

今回ご紹介するジャンヌ・ダルクも、そうした女性の持つ強みを生かして、最大限に能力を発揮した人です。よく知られた人物ではありますが、改めてその活躍ぶりを見ていきましょう。

「女と戦争は素人こそ恐ろしい」を体現したジャンヌ

ジャンヌが「フランスを救え」という啓示を受けたのは1427年。この頃、英仏の間で前世紀から続いてきた百年戦争はいよいよ大詰めで、神様が16歳の少女にわざわざこんな啓示を下さなくてはならないほどフランスは大ピンチでした。

首都パリを含む北半分をイギリスに制圧され、最後の砦オルレアンは陥落寸前。王太子のシャルル7世は即位の目途もつかず、スペインかスコットランドへの亡命を考えていたほどだったといいます。

そんな窮地が、神様の啓示を聞いたという以外は何の実績も後ろ盾もない、頭のおかしな娘にフランスのすべての運命を託させることになりました。

しかし、ナポレオンは後に語っています。「女と戦争は素人こそ恐ろしい」ジャンヌはこの言葉を二重に体現することになるのです。