日本人を支えているのはSNSかもしれない

【最相】私はおこがましくも新聞で人生相談の回答者をやっているのですが、「この人に信仰があれば、どれだけ救われるだろう、助けられるだろう」と感じることがよくあるんです。だけどそうは書けないので、「自治体の○○センターに相談してみて」などと書くのですが、本当に苦しんでいるのはそこではないんだろうなと内心では感じています。

震災があり、コロナ禍があり、ウクライナの戦争もあり、大きな災害や戦争に直面する中で、何かしらの支えが必要になってくるのは間違いないと思います。

それでも日本であまり宗教に関心が集まらない背景に、SNSの存在が大きく関係していることはないでしょうか? つぶやく場所があって、寂しさを訴え、つながることができる。一人でじっとしている時間を、SNSで満たすことのできる状況は支えになっているのではありませんか?

【島薗】ただ、SNSは儚い。そんなに頼りになるものではないと思っています。

救いは宗教から「スピリチュアリティ」へ

【最相】では私たちは何に対して救いを求めるのか。それは果たして宗教なのか。救済宗教とは違った信仰の支えが必要なのか? これは島薗先生の『なぜ「救い」を求めるのか』を読んで感じたことでもあります。本の中では、従来の宗教の形ではない「スピリチュアリティ」について書かれていますよね。宗教的なものは形を変えてこれからも残っていくとお考えですか?

【島薗】「スピリチュアリティ」は1970年代ごろから広がってきた宗教性のあり方で、かつて伝統的な宗教が扱っていた心の次元を扱う、いわば「救済宗教」以後の精神文化と言えます。

当初は、瞑想めいそうやヨーガ・気功などボディーワークを通じて自己変容や癒やしを求めるものであり、私は「自己変容のスピリチュアリティ」と名付けました。苦しみを避け、自分が明るくよく変わっていくのだと。ポジティブな自己実現を目指すものですね。

ですが、最近は「限界意識のスピリチュアリティ」と呼べるものに注目が集まっています。以前までは宗教団体が担ってきた、死に直面する終末期の人のケアなど、こころの痛みや深い悲しみに向き合う方法が組織的な宗教の外で提示されるようになってきたのです。

例えばアルコール依存症の自助グループであるAA(Alcoholics Anonymous)では、自分の力では依存症に太刀打ちできないという「限界」の自覚を持つことで自分の問題に向き合おうとするのです。

最近「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念も注目されています。つまり最相さんがおっしゃるように、コロナや戦争、震災があって苦しい。しかしそのことを忘れるのではなく、心に留めながら共に生きていく。それが大切な人間の力なのだと。これも「限界意識のスピリチュアリティ」と似たものとして私はとらえています。