今大会第1号の金メダルを獲った柔道の松本薫選手。(PANA=写真)

この文章を書いているのは、ロンドン・オリンピックの真っ最中。連日、日本人選手の活躍が伝えられている。サッカーや競泳など、注目競技も続く。まさに世界最大のスポーツの祭典である。

オリンピックが私たちを感動させるのは、アスリートたちの「本気」ゆえであろう。この機会を生かせなければ、次は4年後。重圧の中、全力を尽くして、見事メダルを獲得する。涙を流して喜ぶ姿は感動的である。失敗して落胆する様子も、また美しい。

日本人は、「オリンピック」が大好きだ。「ノーベル賞」や「アカデミー賞」と並んで、日本人が好きな「ブランド」の上位にあるといえるだろう。オリンピックの夢を見ることは、人生において時に大きな意味を持つだろうが、ここで一つ考えてみたいことがある。

それは、ブランドというものは、他人がつくったものをありがたく受け止めるよりは、自分たちで生み出し、運営するほうが面白いということである。日本人には、「お墨付き」を尊重する傾向がある。しかし、その「お墨付き」の裏にある運営側の苦労を自ら体験しなければ、せっかくの成長の機会が失われる。

思えば、「オリンピック」というブランドは、過去何回も危機に瀕した。冷戦時代、アメリカや日本をはじめとする資本主義諸国が、モスクワ・オリンピックをボイコットした1980年は最大の危機の一つだった。

「ワールドカップ」を最高の大会と見なすサッカー界の協力を得るためには、出場選手の年齢制限などの工夫をする必要があった。ドーピングなどの不正行為についても、きちんと検査をして、適切な広報をしなければならない。「オリンピック」の価値は、決して保証されたものではない。それは、関係者の不断の努力によってかろうじて保たれている、危うくも動的なプロセスなのだ。

今回のロンドン大会でも明らかになった日本人のオリンピック熱狂には、一つの奇妙なパラドックスがある。それは、日本人は、オリンピックを愛しつつも、自らその運営に関わる熱意を欠いているらしいということだ。

何も、国際オリンピック委員会(IOC)に相当する組織を創設し、運用したらどうかとまで言うのではない。周知の通り、東京は、2020年の夏季オリンピックの候補地として名乗りを上げている。ところが、肝心の「地元」、日本人のオリンピック招致の機運が、盛り上がらないと報道されている。

財政が苦しい日本が、オリンピックをやる余裕があるのか、首都でこれ以上の開発をする意味があるのか、といった声があるのは承知している。それにしても、他国が開催するオリンピックは熱狂して応援するのに、自分たちではやるつもりはないというのは、もったいないように思う。

オリンピック開催には、苦労や批判がつきものである。今回のロンドン・オリンピックの運営に当たっても、さまざまな摩擦、不祥事があったことが伝えられている。しかし、日本人選手の活躍に熱狂する私たちがよく知っているように、オリンピックの価値は、そのような負の要因を補って余りあるものがある。

もしオリンピックを開催できたら、東京を、そして日本をアピールする機会になる。外国からの訪問客を迎え入れるインフラが整備され、「観光立国」としての日本の未来にも大いに資するだろう。

オリンピックは、見るよりもやったほうが面白い。そのことを日本人が実感できる日が来ることを、私は願う。