164日間に及ぶ勾留の末、無実の身を証明

女性や障害者政策を中心に順調なキャリアを積んできたが、09年、思いも寄らぬ事件が身に振りかかる。郵便不正事件に関連して、虚偽公文書作成、同行使の容疑で逮捕、大阪地検に起訴されて刑事被告人となった。

ところが、事態は予想もしない方向へ動く。担当検事によるフロッピーディスク改竄かいざんの事実が明るみに出て、検察側の準抗告が却下され保釈となる。10年9月、大阪地裁で判決が言い渡され、懲役1年6月の求刑に対し、無罪の判決を勝ち取った。164日間に及ぶ勾留の末、晴れて無実の身であることが証明されたのだ。

起訴に伴う休職が解かれ、大臣官房付に復職すると、新たなポストが村木を待っていた。内閣府に出向して政策統括官(待機児童ゼロ特命チーム事務局長併任)に就いた後、社会・援護局長から13年7月厚生労働事務次官のポストを射止めた。2年3カ月後の15年10月に退官、現在は津田塾大学総合政策学部客員教授を務める。

厚生労働省
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次官の歴史の中でも特筆すべきケース

たった2人の次官のうち、村木の経歴は特異さが際立つと言っていい。冤罪ではあったが、一時は刑事被告人の立場にあったキャリア官僚が、復職して事務次官にまで駆け上がるとは誰が想像しただろう。本人の実力もさることながら、運命の巡り合わせを感じさせるものがあり、村木は自書『私は負けない』(中央公論新社)の中で、人事についてこんな感想を述べている。

「局長や次官になったではないか、お前は勝ち組だと言われるかもしれませんが、昇進というのは結果なんです。たまたまポストが空いたとか、たまたまやった仕事が評価されたとか、「たまたま」が重なった結果、今の立場があるだけ。私が勝ちを取りに行ったものとは違います」

なるほど、人事には時の運というか、人知を超える何かが作用することも確かだ。それを「たまたま」で片づけられるかはともかく、場合によっては我が身を亡ぼしかねない冤罪に見舞われながら、官僚最高位の事務次官を射止めたのは、次官の歴史の中でも特筆すべきケースであるのは明らかだ。

それと、2人の女性次官がいずれも労働省出身なのは何を意味するのか。松原の14年後輩が村木であり、何年に1人と年次に法則性があるわけではないものの、2人がともに労働官僚だったのは、婦人少年局とか児童家庭局とか、「女性でも務まりやすい」とされた役所であったことに由来するのだろうか。逆に、労働省以外の府省からいまだに女性次官が誕生していないのは、なぜなのか、と首を傾かしげざるをえない。