「いかにインド人を黙らせ、日本人に喋らせるか」

これに対して、われわれがインドと価値観を共有している、というストーリー自体に違和感をもつ向きもあるだろう。そもそもインド人は、日本人とは対照的に自己主張が強いことで知られる。国際会議の司会者は、「いかにインド人を黙らせ、日本人に喋らせるか」が成功のカギだという有名なジョークもある。日本人からすると、あのヒンディー語訛りの英語、「ヒングリッシュ」で、堂々と、そして延々と話しつづける精神は理解しがたいところがあるだろう。

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しかも、しばしばインドの指導層や有識者からは、「われわれは世界大国へ向かっている」などといった声も聞かれる。ときに傲慢とすら感じるほどの自信に満ちた物言いの背景には、自分たちの文明や歴史に対する強い誇りがうかがえる。なんにおいても控えめで、自信がなく、周りに配慮することを美徳とする日本人とはかなり違っている。

カーストは「4階級」だけではない

また、かつて社会人類学者の中根千枝が、名著『タテ社会の人間関係』のなかで看破したように、日本とインドは集団意識も対照的だ。インドの集団概念としては、なんといっても「カースト」が大きな意味をもつことは、よく知られている。

日本では、カーストといえば、司祭階級のバラモン、武士階級のクシャトリヤ、商人階級のヴァイシャ、農民・サービス階級のシュードラの4階級と、その「枠外」におかれる不可触民のダリトの身分制を指すと考えられているようだ。これはカーストにおけるヴァルナと呼ばれる仕組みだ。

しかし、現実のカーストはそれだけではない。むしろ、インドの多くのひとびとが意識するカーストとは、大工とか漁師、羊飼い、洗濯人(ドービー)といったような、数千ともいわれる職業と結びついたジャーティである。婚姻も同じジャーティのなかで行われることが多く、ジャーティはインド人のカースト意識の中核にあるといってよい。