ぶれない春樹とぶれつづける龍と

ところで、冒頭にのべた「純作家は病んでいる」という法則は、現役作家にはあまりあてはまりません。90年代末に、アダルトチルドレンをあつかった小説や、サイコスリラーがはやった時期には、田口ランディのように「トラウマ語り」をする作家もいました。そういう書き手も、いまとなってはほとんど見かけません(田口ランディも、現在では育児と原発問題のスペシャリストです)。

この連載のなかでもいずれくわしくふれる予定ですが、95年ぐらいから、

「この世を超えたすごいものを見せること」

を、純文学小説は期待されなくなりました。このため純文学作家も、「常識のあてはまらないあぶないヒト」である必要がなくなったのです。

春樹は、「作家はあぶない」というイメージがまだのこっていたデビュー直後から、走ったり泳いだりにいっしょうけんめいで、不健康なイメージとは無縁です。

これに対し、「パンク私小説」の後継者と見られていた龍は、若いころにはうつ病になったことをカミングアウトしたりして、「病んでる作家」路線をはしりかけました。バブルのころになると、アルマーニのスーツを身につけてテレビのレギュラーをつとめ、うつ病の「う」の字とも縁がないような顔をしていました。ここ10年ほどは、財界人とのコラボに乗りだして、サラリーマン御用達作家をめざしているようにも見えます。もちろん、病んでいるようなふぜいはまったくかんじさせません。

春樹の「ぶれなさ」は、まちがいなく尊敬に値します。しかし、ぶれにぶれつづけ、それでもデビュー以来35年、人気作家でありつづけている龍も、なかなかたいしたものではないかと私は思っています。