令和の時代に入ってからも相次ぐ仏像盗難

仏像の盗難は近年の人口減少、地域の高齢化などと比例するように増えてきている。寺の住職がいなくなる「無住化」や、地域や檀信徒が高齢化して監視の目が行き届かなくなってきていることなどが原因だ。

令和の時代になってからも、仏像盗難の被害は相次ぐ。

奈良県東吉野村の天照寺では2020年11月、地蔵菩薩像と観音菩薩像2体の計3体が盗難に遭った。

京都市上京区の立本寺では2021年5月、月を神格化した月天子像が盗まれている。その後、ネットオークションサイト「ヤフオク!」に出品されているのを寺の関係者が発見した。同像は大分県の古美術商が出品しており、業者の間で転売が繰り返されていたという。古美術商も盗難に遭ったことを知った上で、転売していった可能性がある。翌2022年6月になって、無職の男が逮捕された。

一度だけではなく、繰り返し盗難に遭っている寺もある。聖徳太子の発願によって開かれたと伝わる鶴林寺(兵庫県加古川市)は国宝2件、重要文化財18件という国内有数の文化財保有寺院であり、「西の法隆寺」とも呼ばれる。しかし、寺の歴史は、文化財盗難の歴史でもあった。

何度も文化財の盗難に遭っている鶴林寺
撮影=鵜飼秀徳
何度も文化財の盗難に遭っている鶴林寺

鶴林寺の仏像の中で、最も古いのが白鳳時代(奈良時代前期)の金銅聖観音像だ。重要文化財にも指定されている至宝だ。この聖観音像は通称「あいたたの観音さま」と親しみを込めて呼ばれている。

盗難の最初は江戸時代だ。盗賊が黄金色に輝いていた観音像を盗んで溶かし、換金しようと企てた。しかし、まったく溶けず、泥棒が腹いせに槌で腰を叩いたところ、観音像が「あいたた」と言葉を発したという。

驚いた盗賊は観音像を寺に戻し、二度と窃盗を働かないことを誓ったという。

だが、1964(昭和39)年に再び盗難。この時は六甲山中で発見された。あいたた観音は未遂も含めると計3度、盗難に遭っているというが、その都度戻ってきているのが奇跡的だ。

さらに鶴林寺では、2002(平成14)年には室町時代の聖徳太子絵伝(室町期)と、高麗時代の絹本著色阿弥陀三尊像(ともに重要文化財)など計8幅が韓国の窃盗団によって盗まれる事件が起きた。犯人は逮捕されたが、阿弥陀三尊像だけはいまだに返還されていない。

盗難後、海外に流出した可能性があり、文化庁が国際手配している文化財もある。島根県出雲市にある鰐淵寺所蔵の後醍醐天皇宸筆の御願文や、大阪府能勢町の今養寺の大日如来坐像(平安時代後期)などである。

鰐淵寺は、江戸時代までの神仏習合時代に、出雲大社と一体であった古刹であり、多数の文化財を保有している。私も現地を訪れたことがあるが、鰐淵寺は集落から外れた場所にあり、広大な敷地をもつ山寺だ。完全に防犯対策をすることは難しい立地環境だ。

文化庁は2014年に、国の国宝や重要文化財1万524件のうち、国宝1件を含む109件が盗難などで所在不明だと発表している。重文クラスであっても無住寺院の蔵の中に入ったままの仏像は全国に多々あり、極めて危険な状態だ。発見が遅れれば、転売されたり、海外へと流れたりしてしまう可能性がある。