日本のエレクトロニクス再生のカギは何だろうか。早稲田大学大学院の長内厚教授は「PC専業メーカーとなったVAIOの戦略が参考になる。VAIOは『日本で作る普通のPC』に活路を見いだした。これはごく普通の標準化された製品が好まれるという現在の市場のニーズにあっている」という――。
VAIO F14、F16
写真=VAIO
VAIO F14/F16

VAIOは「普通」のPCで定番を目指す

ソニーから分離してPC専業メーカーとなったVAIOは3月29日にVAIO F14/F16というスタンダードPCを発表した。この発表会では、これまでのようなプレミアムニッチを狙うのではなく、Windows PCの定番を目指した「普通」のPCだという。

20世紀の日本のエレクトロニクス産業は高い技術力を背景に普通ではない他社より優れた機能や性能を差異化の源泉として競争優位を築いてきた。ハーバード大学のマイケル・ポーター教授は、そうした製品差異化をするのでなければ、価格で勝負をして圧倒的なシェアを獲得するコスト・リーダーシップ戦略が求められると指摘している。

VAIOという95%が国内ビジネスである小さなPCメーカーがDELLやHPなどのグローバルなPCブランドに対して、価格だけで勝負を挑んでシェアを奪おうというのはありえない。では、なぜここにきてVAIOは普通のPCで定番を目指そうとしているのだろうか。

「大学生が小脇に抱えながら闊歩する」というイメージ

かつて、VAIOがまだソニーのビジネスだった頃にいたずらに低価格モデルを拡販し、大赤字で撤退したという痛い思いもしている。ソニーのPC事業の歴史は結構長い。1982年にはSMC-70というグラフィックス機能に力を入れたPCを発売している。この時採用された外部記憶装置がその後世界的に普及する3.5インチのフロッピーディスクであった。

その後、SMCシリーズは後継が2モデル、当時ファミリー層向けにアスキーとマイクロソフトが開発したMSX規格に準拠したHiTBiTシリーズ(SMCも最終的にはHiTBiTブランドに組み込まれた。)を発売し、1990年代の初めぐらいまでがソニーのPCの第1期であった。

その後ソニーは1996年にPC業界に再参入した(日本での発売は1997年から)。ソニーは、他社と異なるPCを作る、持っていてクールなPCを作るという、ソニーが20世紀に他の家電カテゴリーでやってきたのと同様な製品差異化を行おうとした。しかし、OSはWindowsという標準的なものであり、搭載するアプリケーションに多くのソニー独自の製品を追加した。これが良くも悪くもVAIOの特徴の一つであった。

もうひとつはデザインである。大学生が小脇に抱えながら都心のキャンパスを闊歩かっぽするというイメージでデザインされたVAIOノート505はVAIOを代表するヒット商品となった。当初のVAIOに紫色のPCが多かったのもデザインのこだわりであった。あえてカラーバリエーションを付けず、この色を見たらVAIOというブランドイメージをつくるためであった。