アサヒビールは2022年、ビール類シェア1位に返り咲いた。その原動力となったのが看板商品「スーパードライ」のリニューアルだった。なぜリニューアルは成功できたのか。今年3月にアサヒビール新社長に就任した松山一雄氏に、ジャーナリストの永井隆氏が聞いた――。
松山一雄氏
撮影=門間新弥

「野武士集団」のイメージが、実際はサラリーマンばかり

アサヒグループホールディングス(HD)傘下のアサヒビール社長に、松山一雄専務(62)が就任した。鹿島建設やP&Gジャパン、サトーHDなど転職を重ねて、2018年にマーケティングのプロとして専務で入社。特異な経歴を持つ松山氏は、アサヒを、そして成熟しきったビール産業をどう変えていくのか。(聞き手はジャーナリスト・永井隆)

――アサヒに入社してほぼ4年半が経過しました。複数の会社に勤務し、またサトーHDでは社長も務めた松山さんが、この4年半で感じたアサヒの強みは何だと考えますか?

【松山】決めたことに対する実行力、情熱、責任感はとても強いところです。それと社員の心根がすごく良い。私はいろいろな会社に勤務しましたが、世の中の役に立ちたいと、多くの社員が純粋に思っています。裏表はなく、純な人が多い。

――一方で、同じくアサヒの弱みは何だと考えますか?

【松山】入社前にアサヒに関する書籍を数多く読んだのですが、アサヒは野武士集団というイメージをもってました。とくに樋口さん(廣太郎氏・1986年~92年に社長)時代には、型破りな人がたくさんいて、挑戦のDNAにあふれていたはず。ところが、18年に入社してみるとサラリーマンばかりでした。また、「お客さま」とか「消費者」という言葉が社内では出ていなかった。だいぶ改善されましたけど。なお、私が言うお客さまとは、消費者を指します。

「決めたことを実行する力」でNo1に

アサヒビールは1949年、GHQ(連合国最高司令部)によって、最大手だった大日本ビールからサッポロビールとともに二分割された会社。家庭向けの取り組みが遅れ低迷。60年代にはサッポロとの合併案が何度か浮上するが流れてしまう。

71年には住友銀行(現・三井住友銀行)から社長が派遣される。が、シェア(市場占有率)は低下を続ける。85年には最悪の9.6%に落ち込むなど経営危機に直面。住銀から来た3代目の村井勉社長時代の86年2月「アサヒ生ビール(通称マルエフ)」を発売し凋落に歯止めがかかる。直後に住銀副頭取だった樋口氏が社長に就任し、翌87年3月発売の「スーパードライ」の大ヒットでアサヒは復活していく。

――アサヒビールは1987年発売の「スーパードライ」以来、ヒット商品のない会社です。なのに、勝ってしまうのはなぜでしょう?

【松山】それは実行力であり、やりきる力がライバル社との同質化競争のなかで発揮された結果だと思います。

――昨年アサヒは「スーパードライ」を発売から36年目にして、初めてリニューアルしました。外部から来て、専務でマーケ本部長を務めた松山さんだからできたことだと思います。一般に、世の中や組織を変えることができるのは「若者」「外者」そして「バカ者」などと言われます。

【松山】私は若者ではない。気持ちは若いのですけどね(笑)。