医療費10割負担で出産する

ところが、その治療法がまったく効かない事態に陥った。サンサンさんの体調不良が1カ月ほど続き、最後はお腹が痛くて立ち上がれなくなってしまった。これはもう病院に行くしかないと覚悟を決めて受診したら、「妊娠している。安静にしないと流産する」と告げられた。子どもをもつのは生活に余裕ができてからにしようと話していた矢先の、思いがけないことだった。

保険証がないと、産科の検診に行くたびに1万円以上かかる。採血などのオプションがつくと出費は4、5万円に跳ね上がる。

「大変だけどがんばろうって夫と話してね。でも出産予定日が近づいてくると、月1回の検診が2週間に一度になって、1週間に一度になって。わーどうしようって焦りました」

出産時の入院費用は100万円を軽く超えた。茨城に住むお姉ちゃんが駆けつけて、病院と掛け合ってくれ、分割払いにしてもらえたのがせめてもの救い。

「赤ちゃんを産むために、夫と私の貯金を使い果たしました。でも生まれた娘もビザがないから、よっぽどのことがないと病院には連れていけない」

薄氷を踏むような子育てだ。サンサンさん夫妻は、なんとしてもビザを得ようと奔走した。88年の民主化運動に参加して弾圧を受け、日本に逃げてきたミャンマー人はたくさんいるが、難民認定された人はほんのひと握り。夫妻は難民申請を諦め、特別在留許可を模索した。弁護士のサポートでビザが得られたとき、娘さんは5歳になっていた。

「ビザがもらえてようやく保育園に入れることができました。そのあとさらに次女と長男を授かりました」

訪れた牧師になるチャンス

印刷会社に勤め、3人の子育てに追われ、義母の面倒までみていたサンサンさんに、さらなる転機が訪れたのは2012年、40歳のときだった。

通っていた教会から「牧師が足りないから、あなた牧師になってくれませんか」と声がかかった。サンサンさんは即答した。

教会
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「無理だと思います」

牧師になるには長年勤めた印刷会社を辞め、神学校でみっちり3年間学び、論文を書く必要があった。夫は非正規雇用、一番下の子はまだ1歳にもなっていない。そもそも日本語も英語も学問を修めるレベルではない。

それでも「受けるだけ受けてみて」と押し切られて筆記試験を受けた。出来はボロボロで、面接では大勢の先生に取り囲まれ「ミャンマーで警察の取り調べを受けたときの恐怖が蘇ってきて」思わず涙声になってしまったという。

面接官の中に渡邊さゆりさんという女性の牧師がいて「3人の子をもつお母さんどうし、一緒にがんばりましょう」と励ましてくれた。さゆり先生は言った。「中世の大学で教えたのは神学と医学と法学。つまり神学は医学や法学と同じくらい大事な学問なんです」。

そのことばにサンサンさんはハッとした。とっくの昔に忘れていたけど、本当は私、日本で医学の勉強がしたかったんだ。医学じゃなくて神学を学ぶ機会が与えられた。できるところまでがんばってみようか。