降伏したところで命の保証はない

命をかけても守らなければならないものがある。ウクライナの抵抗については、これに尽きるのだろう。

つまり、ここで抵抗しなければ祖国が無くなってしまう。将来が無くなってしまう。しかも、このことが、軍人のみならず一般市民にも広く共有されているようにみえることが、今回のウクライナの抵抗を支えている。

さらに重要なのは、抵抗には犠牲が伴うが、抵抗しないことにも犠牲が伴う現実である。

ロシアとの関係の長い歴史のなかで、このことをウクライナ人は当初から理解していたのではないか。

ロシア軍に対して降伏したところで命の保証はないし、人道回廊という甘い言葉のもとでおこなわれるのは、たとえ本当に避難できたとしても、それは強制退去であり、後にした故郷は破壊されるのである。

人形を持つ金網フェンス越しの少女
写真=iStock.com/Andrei310
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占領後に起きていた虐殺

首都キーウ近郊のブチャやボロディアンカにおける市民の虐殺は、ロシア軍による占領の代償の大きさを示していた。ロシア軍による占領にいたる戦闘で犠牲になった人もいるが、占領開始後に虐殺された数の方が多いといわれる。

抵抗せずに降伏しても、命は守ることができなかった可能性が高い。

他方で、ブチャの隣町のイルピンは抵抗を続け、一部が占領されるにとどまり、結果として人口比の犠牲者数はブチャよりも大幅に少なくすんだようである。

地理的には隣接していても、運命は大きく分かれた。ロシア軍による市民の大量殺戮を含む残虐行為は、占領下では繰り返されるのだろうし、占領が続く限り実情が外部に伝わる手段も限られる。

ブチャの状況が明らかになったのもロシア軍が撤退した後である。こうした残虐行為に関しては、軍における規律の乱れや、現場の一部兵士による問題行動だとの見方もあるが、組織的におこなわれていたことを示す証言が増えている。

加えて、ブチャ以外にも似たような大量殺戮の事例が明らかになっており、ロシア当局による組織的行為であると考えざるを得ない。