突然の電話

それから数十年が経った2009年の年末。

疎遠になっていた妹から突然電話がかかってきた。宮畑さんが電話に出るなり、「お母さん(当時65歳)が入院したからすぐに病院に来て!」と叫ぶように言う。

妹は取り乱した様子で、具体的なことは詳しく聞けなかったが、誰かがついていてやらなければならないような状態らしいことは分かった。

しかし、上京した後しばらくして独立し、フリーランスで映像関係の仕事をしていた宮畑さん(当時43歳)は、年の瀬は猫の手も借りたいほど忙しい。考えた末に宮畑さんは、3歳上の妻に電話をする。当時宮畑さん夫婦は信州に自宅を持ち、自身は単身赴任して都内で働いていた。妻はちょうど仕事を辞めたところで、自宅でのんびり過ごしていた。

電話を受けた妻は、宮畑さんの母親が入院する関西の病院に向かってくれた。ところが数時間後、妻からの連絡に宮畑さんは愕然とした。妻は開口一番、「もうダメかもしれない」「天井を向いてヘラヘラ笑ってて、まるで別人……廃人のよう」と信じがたい言葉を並べたのだ。

身を固くした宮畑さんは、「覚悟」というワードが頭に浮かび、電話を持つ手に力がこもった。すぐに仕事を片付け、数日遅れで関西の病院に到着した宮畑さんは、変わり果てた母親の姿に立ち尽くした。

いとこの結婚式で半年前に帰省したときに数時間だけ会ったが、母親はその時と比べてもずいぶん老け込んでいた。

数日間母親についていてくれた妻から詳しい話を聞くと、母親の入院理由は「感染性腸炎」。母親が当時一緒に暮らしていた男性が、母親が食中毒のような症状を起こしたため救急車を呼び、男性から妹に連絡が行ったとのこと。

入院先の主治医より、

「腸炎は心配ないが、認知症の症状が顕著にみられる。このまま入院を続けるとかえって認知症が悪化する。認知症の症状の原因が、お母さんが40代の頃に患った甲状腺からなのか、精神面からなのか、脳疾患からなのかは不明。なので、これまで通院治療をおこなっていた病院に連絡をとり、今後の治療方針を検討すべきでしょう」

と言われ、入院時の経過などを記載した紹介状をもらい、通院していた内科へ。

点滴と天井が見える視界
写真=iStock.com/Kira Stepanova
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内科医はこう助言してくれた。

「お母様は数カ月前から少し変でした。転居をきっかけに症状が悪化することが考えられますので、信州へ行かれるならくれぐれも慎重に」

このとき宮畑さんは、いとこの結婚式で帰省したときのことを思い出した。若い頃から料理上手だった母親は、いつもなら手料理でもてなしてくれるのに、仕出し弁当のようなものを注文してくれていた。

もともと明るい性格で、見た目はいたって元気そうだったが、食事が終わって談笑をしていると、「だるくて料理を作る気がしない」と言い出し、突然、「もう死にたい」と口走ったのだ。

「母の顔は笑っていたので、私たちは『冗談だろう』と言って流してしまいました。なぜ死にたい気持ちなのかは、当時母が一緒に暮らしていた男性もその場にいたため、突っ込んで聞くことができなかったのです。もしかしたら、その時からおかしかったのかもしれません」