地区内初のタワマンは1995年に登場

田園都市線の沿線地域における東急のように、「武蔵小杉を開発したのはこの会社」という企業はありません。いくつもの大手デベロッパーが参入して、それぞれにタワーマンションなどの開発を進めました。

最初に1995年に地区内初のタワーマンション「武蔵小杉タワープレイス」が建設されて以降、雨後の竹の子の如くタワーマンションが林立する街へと変貌を遂げました。

建設現場
写真=iStock.com/7maru
※写真はイメージです

武蔵小杉がある川崎市中原区は、人口増加が顕著です。タワーマンションが本格的に立ち始める直前の2006年には約21万人だった人口は、直近2022年には約27万人と、この16年で一気に約6万人も増えました。全国で人口減少が問題視されているさなか、短期間でこれだけの人口増を達成している街は他に類を見ません。

東急も予想できなかった成長速度とその課題

実は東急はこの武蔵小杉の成長可能性を見誤り、タワマン開発競争に出遅れてしまい、いまのところ2013年に駅上のマンションと商業施設を開発したのみに留まっています。これは東急の開発嗅覚の鈍さを露呈してしまったともいえますが、昔の武蔵小杉の姿を知っていただけに、これほど短期間でいまの姿に変わるとは予想しきれなかったとも言えます。

一方で台風による水害をはじめ、問題点も浮き彫りになりました。私は前著で武蔵小杉の問題点をこう指摘しました。

・ある程度計画的に造られたとはいえ、各デベロッパーがそれぞれ計画した開発なので、街全体の連携などが弱い
・鉄道駅が朝の時間帯大混雑。交通動線は急激に増えた人口を捌ききれていない
・地域住民間のつながりが弱く、コミュニティが希薄

武蔵小杉の事例を見るにつけ、改めて開発にはスピードとバランスが大事だと感じます。デベロッパーには「狩猟型」と「農耕型」があって、東急は典型的な「農耕型」です。

東急は鉄道事業を抱えていることもあり、デベロッパーとして比較的中長期的な視点に立って物事を考えることができる数少ないプレイヤーですから、少なくとも東急沿線内においては、自分たちがやった仕事に対して、「短期的に稼いだから後は知らない」という無責任なスタンスは基本的には取れません。