「出世する」というのはどういうことか

それは「サラリーマンにとって出世するとは一体どういうことか?」という問いかけです。

藤岡さんはその答えをとても明確に示していました。それは「社長になることだ」というのです。社長になれないのであれば、副社長で会社生活を終わろうが、平社員で終わろうが、たいして差はない。

よく考えてみると、サラリーマンの職位の中で、恐らく最も大きな差があるのは社長と副社長でしょう。これは天と地ほど違うといってもよいと思います。

事実、歴代社長の名前は社史にも残り、後の時代になっても記憶にあるでしょうが、上場企業であっても相当関係の深い人でない限り、副社長の名前なんか誰も覚えていません。

だとすれば出世とは社長になることで、なれないのなら意味がないのはそのとおりかもしれない──、よく考えてみると当たり前のこの事実が、私にとってはちょっとした驚きでした。

高層階にあるオフィスの窓際のデスク
写真=iStock.com/gorodenkoff
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サラリーマンは負け犬でかまわない

もし、社長になれる可能性があるなら、家族も犠牲にし、すべての友を捨てても、それに賭ける価値はあるかもしれません。

とはいえ、社長になれるかどうかは「実力がすべて」というわけではありません。運もかなり左右します。

だとすれば最終的に「出世」といえる“社長になること”に自分の人生を賭けるのはその人の自由ですが、かなり率の悪いギャンブルといってよいでしょう。ましてや役員や部長になるのが目標というのであれば、なんだかちょっと寂しい気がします。

もちろん「出世をあきらめなさい」ということではありません。会社に入ってから40代ぐらいまでは大いに出世を狙って頑張るべきです。社長になれなかったとしても、自身が精一杯頑張って役員や部長の地位を得ることができれば、それはそれで素晴らしいことだと思います。

でも、現実には、そうなれない人のほうが圧倒的に多いのです。出世しなければ負け犬だというのであれば、多くの人はそうですが、私は「サラリーマンは負け犬で一向にかまわない」と思います。

私もサラリーマン時代は課長止まりでしたし、同じ会社にいて44歳で会社を辞めた妻は課長にもなっていないのです。負け犬かどうかということでいえば、我々夫婦は、どちらかといえば「その他大勢の負け犬だった」といってもよいでしょう。

それでも今は二人とも、それぞれ得意の分野で楽しく仕事をしています。