これはリベラル化の影響ではなく、おそらくは進化の適応でしょう。知能だけでなく、外見や運動能力まで、集団にはかなり大きなばらつきがありますが、それを客観的に序列化してしまうと、共同体が成立しなくなってしまいます。殺し合いにならず、みんなが(それなりに)仲良くするためには、能力の劣る者が自分を過大評価して自信をもち、能力の秀でた者が過小評価で謙虚になるくらいがちょうどよかったのでしょう。

バカとの「遭遇」が増えていた

能力の過大評価は、「自分の能力が劣っていることを認められない」ということでもあります。社会心理学では、私たちはみな脳に高感度の「自尊心メーター(ソシオメーター)」を埋め込まれていると考えます。

正義は最大の娯楽

学校や会社、SNSなどでみんなから高い評判を得ると、自尊心メーターが上がって幸福感に満たされます。それに対して、職場で叱責されたり、学校で仲間外れにされたり、SNSで炎上したりすると、殴られるのと同じ痛みを感じることがわかっています。

私たちは、すこしでも自尊心を上げようとすると同時に、自尊心が下がるような事態をなんとしても避けようと、死に物狂いの努力を(無意識に)しています。自分が劣っていることをぜったいに認めず、自分と相手を対等とみなす傾向は、自尊心を守るために進化したのでしょう。

さらにやっかいなのがマウンティングで、自分よりステータスの高い者を引きずり下ろしたり、ステータスの低い者に優位性を誇示すると、脳の報酬系が刺激され、強い快感を覚えます。皇族への過剰なバッシングが問題になりましたが、なぜあんなに夢中になるかというと、「皇室を守るため」などと正当化するのでしょうが、本音を言えば、皇族やその関係者にマウンティングすることで大きな快感を得られるからでしょう。

これが人間の本性だとすると、問題なのは「日本人の劣化」ではなく、そうした闇の部分をテクノロジーがグロテスクなまでに拡張していることです。SNSが登場してわずか20年足らずですから、数百万年かけてゆっくりと進化してきた脳が、急速に変化していく現代社会に適応できるわけがないのです。

ここまで「バカ」について述べてきましたが、これは社会が「賢い者(エリート)」と「バカ(非エリート)」に分かれているという話ではありません。脳の認知能力には強い制約があり、私たちはほぼすべてのことを直観で(非合理的に)判断しています。ある面では賢い人も、別のことではバカな行動をするというのは、いくらでもあるでしょう。その意味では、わたしたちはみんな「バカ」ですが、その度合いには(わずかな)違いがあります。リベラル化・大衆社会化によって、そんな「バカ」と遭遇する頻度が増えているというのも間違いないでしょう。

(構成=三浦愛美)
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