自分の金でやるな、他人の金でやれ

「日本では、起業というと生命保険に入ったり、自宅を担保にいれて借金をしたりといったイメージがあるじゃないですか。超リスク、命がけの勝負というか…。しかしスタンフォードの先生方は、『自分の金で始めるな』と言うんです」

人間には失敗がつきものだ。そして、失敗しても人間は生きていかなくてはならないのだ。だから、命懸けの起業はするな。他人の金でやれ……。

しかし、他人の金でなんて、ちょっと甘いのではないか。命懸けだからこそ、どんなに困難な事態に直面しても、歯をくいしばってがんばるんじゃないのか。思わず、日本的な気合と根性の精神論が頭をもたげてしまう。

「では、なぜ他人の金で始めるのかといえば、他人(投資家)が見て『そのビジネス面白いね』と金を張りたくなるぐらいのアイデアじゃなかったら、そもそも成功なんてするはずがないということなんです」

だから、自分の金で始めようとするな。自分の金で始めるなんて、むしろイージーだ。スタンフォードでそう教えられたというのである。

なるほど、起業観がくつがえる、目からウロコの落ちる言葉である。しかし、スタンフォードの「洗脳」が塚田さんの背中を押すまでには、まだしばしの時間がかかる。

伊右衛門のアメリカ進出も、すぐに撤退

米国留学からいったん帰国した塚田さんは、海外の食品事業を担当することになった。当時のサントリーの海外でのプレゼンスは、まだまだ小さかった。塚田さんは米国での事業開発と商品開発を任されて、再び米国に渡る。

2008年には海外版の伊右衛門「IYEMON CHA」の発売にこぎ着けるが、同年9月、リーマンショックが世界を震撼しんかんさせることになる。

「私は米国で『伊右衛門』と『烏龍茶』を発売することを企画したのですが、最終的に会社が『伊右衛門』を先に出すという決定をしたのです。ところが発売してすぐにリーマンショックが起きて、すぐに撤退ということになってしまったんです」

まさに、「大企業の中で、自分で決められること」は乏しかったのだ。リーマンショックという不可抗力があったとはいえ、塚田さんの無念さは想像するに余りある。

しかしそこは、多少のジェラシーを込めて言えば、さすがのハイスペック人材である。帰国して烏龍茶担当ののち、伊右衛門のブランド戦略を担当する課長となると、わずか数年の後にあの「特茶」(脂肪を燃焼させるケルセチン配糖体を配合)を大ヒットさせてしまう。

ちなみに伊右衛門の担当課長は社内では花形の役職で、おそらく伊右衛門の課長に就任した時点で、塚田さんは未来のサントリーの屋台骨を支えるひとりとしてカウントされていたに違いない。

だが……。