よくある「中小企業はかわいそうだ」という評価は誤り

単に経営者の積極性というだけでなく、1990年から92、93年といった時期を見ると、ASEAN諸国が積極的に海外からの直接投資を呼び込むことに熱心になる時期だった。

自国で企業を自立してつくるよりも、資本も技術も先進国から「輸入」したほうが早いということに政策の舵を切った時代だった。シンガポールやマレーシア、そしてタイなどの工業団地の建設に伴う見学会に、中小企業が参加し、わけても経営者だけではなく中心的な従業員も参加し、工業団地にすでに進出し始めた工場や、進出を検討している工場と積極的に交流し、どのようなネットワークの中で仕事が可能なのかを考慮していた。国内の自社工場が持っている陣容、海外派遣の能力、行った先での仕事の可能性といったことは当然にして検討していた。

しかし最後の決断はいわゆる「見る前に飛べ」ということだった。いくら調べてもわからないところは残る。結局のところ、可能性は自分で切り拓くものである。

企業として、どのような仕事だったら現地で始められるか。どのような質の従業員を集めることができるか。技術・技能の移転は可能か。関連する業種は存在するか等々。こうしたことにこそ「起業家精神」の基本がある。

問題なのは、それに対する他者の評価基準である。当時、既成概念としてよく言われた「中小企業はかわいそうだ」という評価は、まったくの間違いであると筆者は思ったものだ。たしかに下請け仕事でカツカツの企業もあったが、多くの企業が生き生きとしているのが実体であって、従業員数と資本金の大きさという「規模」は、企業の実質的な「経営の健全さ」とは関係がないというのが簡単な事実であった。

理不尽な要求には正々堂々啖呵を切る

大田区や墨田区の企業歩きによってわかったことは、しっかりとした経営者の気骨やビジネスプランがあり、後継者も育っていて、中・長期の経営計画を持っている、そういう人々の多くは「かわいそうな人々」の群れではなかったということだ。当時の「中小企業白書」などもずいぶんと読んでみたが、いわゆる中小企業研究者の多くは、中小企業学会などに所属し、30年前、40年前に教えられた通りの固定観念で中小企業を見ていたということである。

当時のマルクス経済学(学者)による中小企業理解は、「調査」によって「かわいそうな企業」を探し回ることだったのである。つまり調査と称して、自分たちの定説に当てはまる中小企業を「発見」することに徹していた。

たしかに大田区や墨田区、あるいは東大阪などにある中小企業の中には、大企業である完成品メーカーの下請け(サプライヤー)として成り立っている、立場が弱そうな工場はいくつもあった。

しかしたとえば、大田区の50人ほどの金型屋の場合(相当大きい工場)、発注元の大企業から、いわれのないコストダウン要求の連続に対して「もうオタクの仕事はしない。マレーシアやタイではもっと安く仕事をするというならそちらでやればよい。その代わりこちらは大田区すべての工場でオタクの仕事は拒否すると仲間全体に触れ回る」と、いわば啖呵を切って引き上げる企業もあった。

もっともこの発注を拒否された完成品の企業は、すぐに謝りにきて、「担当者がとんでもない間違いをして申し訳ない」と、前言を撤回したとのことだった。