「“その他大勢”が多分好きじゃない」

周藤は1987年に島根県出雲市で生まれた。警察官だった父親の仕事の関係で、広島市、松江市、津和野町などを転々とした。看護師を目指したのは松江東高校時代のことだった。

「母親は凄い倍率を勝ち抜いて就職したのに、結婚して仕事をやめました。(育児が一段落して)再び、働くとなるとパートしかなかった。資格があれば仕事に戻れたという考えがあったのか、“手に職(をつけなさい)”って言われ続けていたんです」

幼なじみの母親が保健師をやっていたこともあり、医療の道に進むことにした。鳥取大学医学部保健学科看護学卒業後の2011年4月、とりだい病院に入職、手術部に配属された。

「手術部で3年目になって、だいぶ色んなことができるようになってきた。誰でもそうだと思うんですけれど、どうしてもここに必要だと言われる人になりたかった。オンリーワンとまではいかなくとも……」

少し考えた後、「私、“その他大勢”が多分好きじゃないんです」と言った。

「当時は、やる気が空回りしていたというか、後輩などに厳しい言葉を結構言っていたような気がします」

そんなとき見つけたのが、周麻酔期看護師だった。調べてみると、日本周麻酔期管理研究会(JSPAC)が台湾の台北栄民総医院への視察旅行を企画していた。

内容を読むとJSPAC関係者向けのようではあったが、外部からの参加も不可ではないようだった。思いきって、周藤は参加したいですとメールを送ることにした。

「卒業旅行でヨーロッパには行ったこともありました。でも一人の海外旅行は初めて。現地のホテルで集合、みなさんとは初対面。オレンジ色のカバン持っているから見つけてください、みたいな感じでした」

2014年8月のことだった。

悔しくて看護師長室で大泣きした理由

台北栄民総医院は台湾の基幹病院の一つだった。台湾は周麻酔期看護師の数が世界で一番多いこと、看護師が麻酔を担当、医師が管理していると教えられた。

この時点で、周藤は麻酔に関する知識をほとんど持っていなかった。ただ、看護師が麻酔に携わっていいのかというぼんやりとした問いへの答えが欲しかった。

同行したJSPACJSPACの日本人関係者に恐る恐る聞いてみると、素っ気ない返事が戻ってきた。

「看護師にできるんだから、やればいいんですよ」

目の前の扉がさっと開いたような感覚だった。

周麻酔期看護師への理解はほとんどない状態だった

この時点で周麻酔期看護師となるには、前出の聖路加国際大学の大学院に進学するしかない。とりだい病院を辞めて進学するのか、あるいは許可をとり籍をおいたまま進学するか。どちらにせよ、私立大学の学費、東京での生活費を考えれば現実味はなかった。

それでも台湾研修旅行は周藤の目の前に降りてきた細い糸のようなものだった。この糸を辿り、翌年には横浜米海軍病院の研修に参加、後藤と知り合った。

後藤からは聖路加国際大学以外でもいい、どこか大学院に進学して麻酔の勉強をした方がいいという助言を受けた。

しかし、とりだい病院でも周麻酔期看護師への理解はほとんどない状態だった。手術部師長の森田理恵に付き添ってもらい、麻酔科教授に大学院進学を相談した。しかし、「うちでは(周麻酔期看護師として使うことは)絶対にできない」という答えだった。

周藤は悔しくて、看護師長室で大泣きした。それを聞いた後藤は担当教授に会って、必要性を説明すると言ってくれた。すでに横浜市立大学附属病院では、聖路加国際大学の修士課程を終えた2人の看護師が勤務していたのだ。