知的好奇心の広さと知能には相関関係がある

学力や知能に関連するものにはパーソナリティもあります。近年パーソナリティに関する研究分野で主流となっている「ビッグファイブ理論」では、パーソナリティを「外向性/内向性」、「神経症的傾向」、「協調性」、「堅実性」、「経験への開放性(知的好奇心)」という5つの因子で表します。このうち、経験への開放性、つまり知的好奇心の広さに、知能との相関があることがわかっています。

私が印象深かったエピソードとして、ある編集者の経験談があります。彼は公立中学出身なのですが、偏差値の高い私立高校に進学することになりました。そして、中学と高校のあまりの違いに衝撃を受けたそうです。

地元の中学だと少女マンガを読むのは、それだけでみんなにバカにされる行為でしかなかったのに、進学校では勉強ができる、運動ができる生徒でも普通に少女マンガを読んでいたというのですね。日本のマンガ文化のレベルは世界も認めるところ、魅力的な作品にマンガのジャンルを問わず、出会うことができます。

すべてを学校に求める必要はない

偏差値が高い学校の方が、文化的な許容度や自由度が高く、少女マンガへの偏見にとらわれない傾向があるのかもしれません。だからといって、文化は偏差値が高い学校にしかない、学力が低い生徒が集まってしまった学校では、厳しい校則で生徒をしばることが必要と私は言いたいわけではありません。

校則に関して言えば、茶色い地毛を無理矢理黒く染めさせたり、下着の色をチェックしたりするような校則には疑問を覚えます。仮に茶髪にしたり派手な下着を着ている生徒の素行や成績が悪い傾向があったとしても、茶髪や下着それ自体が成績の直接の原因ではないからです。これは相関関係を因果関係と思い込むよくある勘違いの賜物たまものです。

CHAOSの指標、つまり「落ち着いてちゃんと秩序だった生活をさせる」ことと学業成績の間には、ある程度の相関が見られます。きちんと朝起きて決まった時間に学校に来る、身の回りの片付けをするように指導する、そういう家庭は他のことについてもおしなべてきちんと秩序だった生活習慣が根付いている場合が多いのです。

学校でもそのように落ち着いた秩序だった学習生活の環境を、生徒も納得できる形で作れる先生たちの連携やノウハウは確かにあって、それが血の通った指導となって機能しているところもあると考えられます。また、文化的な許容度に関しては知能との相関があるのは確かですが、自分が好き、快適だと感じる文化が通うことになった学校になかったとしても、諦めなければならないというわけでもありません。すべてを学校に求める必要などないのです。