「シナリオ」に沿わない有識者ははじき出す

——どのような仕事だったのでしょうか?

日野行介『原発再稼働 葬り去られた過酷事故の教訓』(集英社新書)
日野行介『原発再稼働 葬り去られた過酷事故の教訓』(集英社新書)

「トラブル隠し問題など東電は当時からさまざまな不祥事、不正を起こしていました。なぜこんな事態が起きるのか、という原因究明ですね。でも、これではダメだと思ってフクシマの数年前に辞任しました。

会議は年に3、4回あるのですが、事務局があらかじめシナリオを作っていて、こういう資料で、こういう方向性で行きますと説明に来ます。各委員に説明して、会長や社長、原発所長の前で全体会議をするわけですが、私がシナリオとは違う意見を言うために、東電の担当者が困ってしまった。内側からの批判には限度があると感じました。

一定範囲は許容されるのですが、それを超える批判はできないし、そうする人ははじき出す。東電だけではなく官庁もそうですが、だから意向に沿った有識者を選ぼうとするのでしょう」

——フクシマ後も原発行政が生まれ変わったようには思えません。

「あまりに巨大なシステムのため身動きが取れないのだと思います。東電の有識者会議の委員だった際に最も問題だと思ったのは、東電の技術者たちが、原子力安全・保安院など規制側よりも知識や技術を持っていると慢心していたことです。実際そうだと思うのですが、これでは根本的な変革はできません」

原発存続には国民を欺くウソが不可欠

——東電だけではなく、規制する側も自らの「権威」を守ることに汲々としています。また、決して誤りを認めないようにしなければ原発を進められないと考えているようにも思えます。危険なものを危険だと感づかせないように広報するという時点で、すでにウソが始まっています。

「そうですね。最近はよく『原発はゼロリスクではない』と宣伝されています。確かにその通りではあります。危険な放射性物質を使うというのも本当です。ところが、これが環境に漏れてもちゃんと防護対策が取られて、汚染が広がらないように規制しているから原発は安全という話になってしまっている。

『ゼロリスクではない』が、いつの間にか『100パーセント安全』になっているわけですから、どこかでレトリックが破綻しているのですが、気づかれないよう工夫して国民の感情に訴えている。原発が生き残るには国民を欺くウソが不可欠です。結果として、社会を支えるモラルや民主主義が破壊される恐れがあることに気づくべきでしょう」

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