他人の命も自分の命も軽く感じていた

小細工、小手先、小芝居からもたらされた途方もなく大きな結果と、本人の意図を外れた大いなる破滅。明確なOと凛の共通点は、戸籍や公的書類を不正に行使したことと、養母がいたことだ。

改めて比べてみれば、彼らは自己保身と自己愛だけが強烈に見えて、実は自分というものが稀薄だったのではないか。だから簡単に、養子だの別人だのになれたのだ。

凛は高級外車やタワマンや有名ブランド品は、心底から自分が欲しかった物ではなく、みんなが欲しがるものだからと手に入れたかったのかもしれない。

高スペックと見なされるあれこれを纏ってもなお、自信満々ではなく自己が不安で不安定だったから、金でみんなが欲しがる物をさらに持ちたかったのではないか。

ブラックのランボルギーニ
※写真はイメージです(写真=iStock.com/Brandon Woyshnis)

ここで、『罪と罰』の主人公も思い出す。あくまでもOや凛から見ての不要な人は、未来ある自分のために犠牲になるのは当然で、だから殺すのも悪いことではなかったのだ。

2人とも、他人の命をまさに紙切れ1枚くらいのものとして扱っている。ただその紙切れは、身分証明となり法的効力を発揮するので、欲しかった。

繰り返すが、自殺をする人の性格も事情もさまざまではあるが、凛はある一つのタイプに収まるかもしれない。

自身が稀薄、自分の死も軽い。実は、自殺しやすい人であったのだ。

結束バンドを残したワケ

さてOは死刑が確定してから、たくさんの歌を詠んだ。死刑囚の歌は母親が主題のものが多いというが、Oは養母と実母の歌は、一つとして詠まなかったそうだ。

凛の実母についての情報はほぼないが、ふと思う。養母を溺れさせ、その肉体を目の当たりにした瞬間に初めて、生々しい養母の命、人ひとりの存在を実感したのではないか。

養母の遺体が恐ろしくてならず、一刻も早く養母の遺体から離れたい、今すぐに死んだ養母がいる空間から逃れたい。それが、重大な証拠となる結束バンドを外さなかった、外せなかった理由ではないか。

あくまでも、私の想像にすぎないが。それが、真実であってほしい。