“第一声”が場の空気をコントロールする

こうして内側(徳川家臣団)の意思は固まりました。次なる問題は、外側(豊臣恩顧の大名たち)をどう一つにまとめるかです。

家康は、評定の場で開口一番、諸将に去就を問うつもりでいました。

「私は三成と戦うことを決めたが、おのおの方にはそれぞれの事情があろう。この家康につくか、それとも三成につくかは、おのおので決めればよい。三成方につきたいというお方は、直ちに国許に戻って戦支度をしてくだされ。邪魔立てはいたしません」

と。こんなときには、家康の言葉に対して、最初に誰が何を発言するかによって、場の空気が大きく変わってしまいます。

もし、誰かが、

「申し訳ありませんが、それがしは家康どのにはお味方できません。亡き秀吉さまに、楯突くような真似はできないからです」

などと言い出そうものなら、大名たちはたちまち不戦論に傾き、上杉征伐軍=東軍構想は瞬時に瓦解がかいしたでしょう。

そうならないためには、あらかじ“根回し”をしておく必要があります。

評定、つまり会議における交渉では、場の空気をこちらが望ましい方向に形成していくために、事前の根回しが不可欠です。

では、誰に根回しをしてもらうか。家康の頭の中に浮かんだのは、黒田長政でした。

狩野貞信筆・彦根城本『関ヶ原合戦屏風』
狩野貞信筆・彦根城本『関ヶ原合戦屏風』(写真=関ケ原町歴史民俗学習館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

どこをくすぐれば相手がのってくるか――黒田長政の知略

長政も豊臣恩顧の大名の一人であり、文治派の三成と対立する武断派に属しています。

ただし、秀吉の軍師として名を馳せた黒田官兵衛の息子であり、官兵衛とともに“二兵衛”と称された、竹中半兵衛の教導も受けています。武人として優れているだけなく、知略にも恵まれていました。しかも長政は前々から、

「何かのときには、私を家臣と思召してお使いください」

と、家康に売り込んでいました。根回し役としては、最適と言えます。

根回し役を引き受けた長政は、同じ武断派で、常日頃から親しい福島正則に目をつけます。正則はよく言えば猛将、悪く言えば単細胞で、三成のことがとにかく大嫌いという人物。長政としては、籠絡しやすい相手でした。

「三成の挙兵は、豊臣家の名を借りた己れの天下取りのためだぞ。三成に勝たせてなるものか。お互いに騙されまいぞ」

長政は、正則の「三成憎し」の思いを焚きつけるような言葉を、正則に向かってわざと吐きました。そのうえで長政は、

「――明日の評定で、おぬしが誰よりも先に『家康さまにお味方いたす』と大声で切り出せば、どちらにつくか迷っている連中の気持ちも、固まるだろう」

と持ちかけました。

一方の正則は、けっして思慮が深い人物ではありませんでしたが、もし今度の戦いで三成が勝利すれば、三成との相性が悪い自分に未来がないことはわかっていました。

評定の場で自分が一言大声を出すぐらいで、反三成勢が形成されるのであれば、それこそお茶の子さいさいです。言ってみれば正則は、小山評定における猿回しの猿になることを、自ら引き受けたことになります。