当時、食事には香の物は欠かせなかったが、なんと漬物も運んでいたという。漬物のみならず、漬物石も一緒である。重しの石がなければ味が落ちるからだ。

いわば台所ごと、城から移動してきたようなものだった。当然ながら、それを運ぶ人足も参勤交代の一行には加わっていた。

殿様専用の風呂、トイレも部下が運んだ

藩主専用の宿所であった本陣には一日の疲れを落とす風呂はあったのだが、藩主は入らなかった。持ち運んできた専用の風呂桶を本陣に持ち込み、入浴したからである。別の場所で沸かしたお湯を桶で運んで風呂に入れ、藩主に入浴してもらうことになっていた。

本陣の風呂は、五右衛門風呂と呼ばれる据風呂だった。湯槽の底に平釜を取り付け、かまどを据え付けた上でまきを焚いて沸かす仕組みの風呂である。

据風呂は水面に浮かんだ底板を踏み沈めて入浴する。失敗すると大やけどの危険があったため、藩主は本陣の据風呂には入らなかったのだ。

本陣に持ち込んだのは風呂桶だけではない。風呂から出て藩主が座る腰掛、風呂からお湯を汲み出して体に掛ける手桶も同様だった。殿様の入浴に必要な道具すべてを携行していた。風呂のほかには、藩主専用のトイレも持ち運んでいた。道中で用を足す時はもちろん、本陣でも使用したため、本陣の雪隠せっちんは直接使用しなかったことになる。

前田家の殿様専用の携帯用トイレは、高さ一尺二寸(約三十七センチ)、長さ二尺(約六十センチ)、幅一尺(約三十センチ)の台形をしていた。腰を下ろす位置には、大・小の穴が瓢箪ひょうたん形にくり抜かれていたという。

藩主の排泄物は回収して持ち運ぶ

携帯用トイレを本陣に持ち込んだ藩主に関する証言が残されている。中山道を通過する大名に、自分の家を本陣として提供した村の庄屋の言葉である。

お大名が今夜お泊りと申す時には、「先番さきばん」と号するさむらいが、長持ながもちに雪隠の抽出筥ひきだしばこを納めたのを持たせて参りまして、上雪隠へ仕掛けて置きます。もっとも大抵のうちで本陣にでもなろうという処では、そうしなくても御間おまに合うようにはしてありました。黒塗の樋筥といばこの雪隠です。先番衆は本陣へ乗込むが早いか、乾いた砂をソレへ敷き、両便を受けるようにしたものだそうで、サテ殿様が御到着の上両便を達しられると、先番衆は、再びその砂をば樽詰にし、御在所へ持帰ったもので、サゾ大変の物であったろうと思われます。(篠田鉱造『増補 幕末百話』岩波文庫)

長持に納めた「雪隠の抽出筥」というのが、携帯用トイレだった。庄屋の証言から、携帯用トイレだけでなく藩主の排泄物まで持ち運んでいた様子が窺える。