なぜ格差はここまで広がっているのか

過去半世紀のヨーロッパ、北米など先進経済諸国の歴史はおおむね、富が上向きに吸い上げられていく物語だった。最も排他的な共同体で育ち、最名門とされる学校で学び、超エリート社会のネットワークの中で交わってきた者たちが、その特権を利用して、計り知れない富を確保する。海岸沿いの別荘と山岳地帯の隠れ家の間をプライベートジェット機で行き来しながら、子息にアイビーリーグへの入学資格を買い与え、資産を税務当局の手が及ばないカリブ海諸島などに隠す。

その一方で、何億という労働者階級の人々は、減るばかりの給料の中から支出をやりくりするという、無理筋の算術に頭を悩ませている。

こうした話の基本的な枠組みはあまりにも知られすぎており、はるか昔からの決まりごとのようにみえるかもしれない。

インターネット、グローバル化、そして自動化によって、いかに現代の暮らしが姿を変えたか。都市に住まう、教育のある専門職の人々が恩恵を受けた一方、そうしたスキルを持たない人々がどれほど割を食ってきたか。書籍や雑誌記事はあれこれと詳細に分析してきた。

この世界は彼らがさらに富むように仕組まれている

だが、そうした分析は、この変化がまるで風や潮の干満のような、人知を超えた自然現象であるかのごとく取り扱いがちだ。

我々を取り囲む経済の現状は、決して偶然の副産物ではない。システムを築いた人々が、自分たちの利益にかなうように意図して設計した結果なのだ。我々が暮らす世界はダボスマンによって設計され、ダボスマンにさらに大きな富をもたらすよう仕組まれている。

億万長者たちは、政治家には献金をあてがい、すでに図抜けた高みから特権を享受している者の地位がますます高まるような状況を擁護させる。金融規制を逃れるためにロビイスト集団を雇い、銀行が野放図なギャンブル同然に貸し付けできる状況を整えてきた。

にもかかわらず、自分たちが損失を出すと、社会のふところの深さにつけ込んで尻ぬぐいさせた。独占禁止規制当局への対抗策を講じ、投資銀行や株主の利益になる企業合併が進められるようにした。大企業は、寡占の支配的地位を得た。労働運動の力を押しつぶし、賃金を減らし、利益を株主たちに手渡してきた。