日本の不得意な分野で勝負しようとしてはいけない

——社会的序列の重視や平等主義などの規範・通念は日本文化そのものであり、なかなか変わりません。それでも、日本が、経済活性化のために、「創造的破壊」をもたらすようなイノベーションを目指すとしたら、どうすべきでしょうか。

かつて、日本、そして日本経済はイノベーションにあふれていました。世界中に浸透している自動車製造モデルは、トヨタ式の日本型モデルを基準にしたものです。米国のモデルよりはるかに優れているため、米自動車メーカーはトヨタ式を取り入れざるを得ませんでした。

日本は製造業の生産工程で、見事なまでにイノベーティブな面を発揮してきましたが、戦前のイノベーション力を失ったように見えます。豊かな国になったからなのか、国内市場の規模が拡大し、安定したからなのか――。

日本企業は、国内市場でのビジネスだけで生き残れるようになったことで、イノベーション力が低下したのかもしれません。1950年代~60年代には、新しい、より良いものを発明しなければ生き残れませんでした。

繰り返しますが、日本はイノベーティブです。ただし、自国の強みで勝負しなければなりません。そして、それは米国の強みとはまったく違います。日本の強みは、官民が一体となって協働する力や、労使間の協調に基づく経営、業界の長期投資、そして、製品の品質を最大化する能力です。

自国が不得手なことをやろうとしてはいけません。

——社会的秩序の重視や平等主義といった日本文化を変える必要はないのですね。

そうです。必要なのは、より良い政策です。日本の産業政策は大きな成功を収めてきただけに、その一部を撤廃したことは間違いだったと思います。日本には、首尾一貫した産業政策が必要です。例えば、政府が民間セクターと協働し、研究開発に投資することです。

もちろん、日本政府が何もやっていないと言うつもりはありませんが、そうした領域に慎重になっています。経産省の官僚は、(前身である通商産業省時代の官僚より)やや謙虚になったように見えます。

1960年代~70年代はもとより、80年代に入っても、(通産省の)官僚の多くは実に傲慢ごうまんでした。一方で、その傲慢さゆえ、「リスクを取る」ことにも積極的でした。その意味では、傲慢さがプラスの方向に働いていた可能性があります。

日本人は「ローリスク・ローリターン」を望んでいる

——今や、日本経済がかつての強さを取り戻す兆しは一向に見えません。

しかし、何より、日本には政治的安定があります。その意味では、米国のほうがはるかに心配です。1990年代に日本の政治家と面会し、日本の構造改革と規制緩和について話した際、彼がこう言ったのを覚えています。

「日本人に、『ハイリスク・ハイリターンの社会』と『ローリスク・ローリターンの社会』のいずれがいいか、尋ねてごらんなさい。圧倒的多数の日本人が『ローリスク・ローリターンの社会』を選びますよ」と。

日本の政治は停滞している、変わらない、という声が多いかもしれません。しかし、私から見れば、日本の政治システムはきちんと機能しています。それこそが、日本の人々が望むものだからです。

日本で、(米国のような)急進的な自由市場型改革が行われないのはなぜか――。日本人がそれを望んでいないからだと考えれば、謎は解けます。