今回の「脱原発」決定は、マイナーな政党だった「緑の党」がメジャーなものに変貌する過程と大きく関係している。

チェルノブイリ原発の事故後、もともと脱原発を掲げてきた「緑の党」が徐々に存在感を増していく。さらに90年代後半には勢力を拡大し、中道左派のSPDと緑の党の間で連立政権が誕生するまでに至った。そして02年には、当時のシュレーダー首相がついに、緑の党が念願としていた「22年の脱原発」を決定したのだ。しかし、この10年前に起こった「脱原発」の歴史的な決定も、10年に一度見直しが行われている。

「経済状況の悪化などで産業界からの意向で、22年以降も原発の稼働を延長することに変更されましたが、福島の原発事故で、時計の針が元に戻ったのです」(バントル氏)

ドイツでは津波や地震の心配はなく、今回の福島原発事故で発生したような津波でほぼすべての電源系統が不能になることは想定されにくい。しかし日本の原発事故の状況から、「すべてのことを事前に予測するのは難しい」「専門家が十分予測したことでも間違う」と多くの国民が感じたためだろうと、バントル氏は分析する。

また同省のマリオ・クレプス氏は、脱原発への経緯を別の角度から指摘する。

「原発事故が一度起こると、放射能で汚染された物質が国境を越えて他国にまで及ぶため、その影響は計り知れません。使用済み核燃料の処理方法も決定的な解決策がない状況で、放射能汚染の影響は何百年と続きます。我々は、子孫に対して責任を負う必要があると考えています」

ドイツ人には、原発=核と捉える人が少なからずいるのも事実だ。89年のベルリンの壁崩壊まで、ドイツは西ドイツと東ドイツに分断され、中距離核ミサイルが装備されるなど冷戦構造の最前線に立たされてきたからだ。

「原子力発電と核兵器は同じ技術でできています。だから原子力発電を使用しているのは、常に戦争状態と同じなのです」(ブリーガー氏)

このように核の存在と恐怖が身近なものとして、原発へのマイナスの感情が長年市民の中に蓄積していったのだ。

※すべて雑誌掲載当時

(撮影=渡邉 崇)