不条理に“慣れた”現代人は官僚制化を深刻化させる

こうした「合理化の不条理」は、かねてよりカフカ的現象、つまり肥大した官僚制特有の不条理といわれたもので、20世紀には文学の一大ジャンルともなりましたし、社会科学でも主要なトピックのひとつでした。

しかし、この官僚制的不条理はむしろ、現代こそ本当におそるべきものになって、わたしたちの生活のすみずみまで拡散していっているものです。

ところが、現代の不思議な現象ですが、それと反比例するかのように、わたしたちは官僚制あるいは官僚主義を問題にしなくなっていったのです。

実際、官僚主義があれほど問題にされていた1960年代の生活といまとを比較してみましょう。いまと比較すればとんでもなくゆるかったであろうし、官僚制的手続きにすら、わたしたちの裁量の余地があちこちにあったはずです。

これは奇妙なことですが、このような実態と意識の乖離が、ますます官僚制化を深刻化するといった事態を招いているのです。

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