判断力を支えたのは、自分の眼と足で調べた情報です。延べ4年間のアメリカ駐在時代、テキサスの油田とデトロイトの自動車工場を視察し、日米の国力の差を見抜いていました。問題意識をもって自ら情報をつかみ、本質的な意味を看破したからこそ、判断がぶれなかった点を経営者は見習わなければなりません。

先見性を物語る逸話は数多くあります。三国同盟締結もドイツ、イタリアの実力を見定め、反対しました。ドイツ海軍はUボートによる攻撃が主体で大型艦の保有はわずか、イタリア海軍は支える工業力が脆弱でした。対米戦争は海軍力の戦いになると読んだ山本長官から見て、三国同盟は百害あって一利なしでした。

山本五十六氏

洋上決戦の主役は航空機と空母中心の機動部隊に替わると確信していた山本長官は戦艦「大和」「武蔵」建造にも大反対でした。その費用と資材があれば、自ら航空本部長として育成した航空兵力をどれだけ充実させることができるか。しかし、日露戦争の日本海海戦の成功体験に浸る守旧派の大艦巨砲主義者の前に航空主兵説は退けられます。両戦艦ともほとんど戦果を挙げずに海に沈みます。

本来なら、一度下した決定でも、状況が大きく変われば即刻、判断を変えなければなりません。会社経営でも経営者が一つ誤った決定をし、それに固執すれば会社は破綻に向かうのです。

それでも開戦前、近衛文麿首相に対米戦争について海軍の見通しを聞かれた山本長官は、「それは、ぜひ私にやれと言われれば、1年や1年半は存分に暴れてご覧にいれます。しかし、その先のことはまったく保証できません」と答えます。

国家の意思決定が下れば、海軍の作戦遂行の最高責任者として最善を尽くす。それが軍人の使命と考えるのが山本五十六でした。与えられた状況下で最善を尽くすことの尊さは、経営や事業を進めるうえでも重要なことだと私は思います。

ただ、真珠湾攻撃の戦果にもかかわらず、本人は沈痛な表情で言葉少なだったといいます。一番気にしていたアメリカへの事前通告が、官僚的体質の残る日本大使館での暗号翻訳作業の遅れで事後通告となり、“寝首”をかく結果になってしまった。怒りに燃えたアメリカ国民の戦意高揚という、最も避けたい事態が起きてしまったことへの痛恨でしょう。