現在、30歳の独身女性は、幼少期から暴力と暴言の限りを尽くす父親に恐怖支配されてきた。うつ病・糖尿病を患い、経営していた会社も倒産させた父親はこのひとり娘を生贄にするように身の回りの世話や介護をさせてきた――(前編/全2回)。
意気消沈した女の子
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この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないに関わらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

父親との別居

関西在住の井上夏実さん(仮名・30歳・独身)は、当時37歳の会社経営(卸売業)をする父親、同じく37歳の自営業(エステサロン)の母親の間に生まれた。もともと自宅は母親の店舗兼住宅。父親は長年、自分の会社を経営してきたが、一向にうまくいかず、母親の稼ぎで家計が成り立っていた。

「父と母はまるで水と油。2人が結婚した経緯は知りませんし、知りたくもないので聞いていませんが、私が物心ついたときにはすでに父は母へDVをしていました。父は、いつも『自分が一番』でないと気がすまないので、自分を褒めたたえてくれる人以外は全員敵とみなします。母は、ポジティブで世渡り上手で、店も順調だったため、父は、母に対して嫉妬心や劣等感などがあって衝突していたのかもしれません」

井上さんは3、4歳の頃から父親を怒らせないように気を使っていた。

「父を怒らせると、母のように暴力を振るわれることは子どもながらにわかっていたので、できるだけ父を怒らせないように注意していました。今、幼い頃の自分を思い出そうとすると、母が夜中に正座をさせられて父に謝り続けていたり、怒った父がキッチンで床に皿を投げつけて割っていたり、包丁を振り回して怒鳴っていたり、母が父に平手で叩かれたり蹴られたりなど、父による母への暴力や暴言の記憶ばかりが蘇り、それ以外はあまり思い出せません。自宅が店舗兼住宅だったため、母には私を連れて家を出るという選択肢はなかったようです」

井上さんが小学生のとき、40代だった父親はうつ病と糖尿病と診断されて、それ以降、通院と服薬を続けている。

「父は基本的に、『かまってほしい』ので、それをやめると暴れます。そういう意味では、病院の付き添いや傾聴など、父への精神的サポートは、私はかなり幼い頃からしていたように記憶しています」

長年、父親を刺激しないように自分を押し殺してきた井上さんだが、思春期を迎える頃、父親の傍若無人ぶりに耐えきれなくなると、「それは違うんじゃない?」と言い返すことも。

すると、父親の表情はみるみる鬼の形相に変化し、井上さんを敵認定し、暴言を浴びせまくる。そうなると井上さんは、何度も頭を下げ、懸命に言葉を尽くしてなだめ、父親を落ち着かせるのだ。

2006年、井上さんが高校生になると、53歳になった父親が経営していた会社が倒産した。大きな借金を抱え、さらにうつ病が悪化。仕事はもちろん、食事も入浴もせず、オムツをして一日中、真っ暗な部屋で寝て過ごすこともあった。

一方、母親は必死に働いて家計を支えた。井上さんがまだ小学生の時分、母親は電車で15分ほどのところに住む70歳の実母の介護に備えるため、自宅から徒歩1分のところにマンションを購入していた。

ところが、それを知った父親は勝手にそのマンションに移り住み、乗っ取ってしまう。車の往来が多い大きな通りに面していた店舗兼自宅は、うつ病の父親にとって騒がしくて落ち着かず、耐えきれなかったようだ。

父親がマンションを乗っ取ってからというもの、井上さんは高校や大学から帰宅すると、何度も父親に電話で呼び出され、その度にマンションへ行き、父親の身の回りの世話をし、延々と続く父親の話に耳を傾ける日々が始まった(会社倒産後に乗っ取ったため)。